業界の恩人2

生番組のオンエア当日の遅刻が何を意味するか?

それは、たかが遅刻では済まされないのです。まして当日の原稿は当日書くことになっていた作家の先生が、となると、ナレーションなしで映像が流れることになるのです。

小生それでなくても時間に遅れるルーズな人が大嫌いなのです。いくら年上の人であろうと、頭に来ていました。

結局、他の作家さんがUさんの分まで書いてくれたので事なきを得たのですが、小生腹の虫がおさまりません。

ガツーンと噛みついたのです。

それもみんながいる前でです。

慌てたのは、周りの人たちでした。みんなが「この若造なんてこと言ってんだ」みたいな顔で小生を見ていました。

その作家先生も、なんだこいつぐらいな顔でした。

番組終了後、次の週の打ち合わせをしてお開きになったのですが、小生そのUさんに呼び止められたのです。

それから赤坂の高い中華料理店に連れていかれました。

いやな感じでついていったのですが、ただ高級な中華料理をごちそうになり、老酒をしこたま飲んで、別れたのでした。

それ以来、毎週のように作家Uさんに飲みにつれて行ってもらうようになりました。どうしてでしょう?

教訓 時には怖いもの知れずでぶち当たるのもいいものです!

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業界の恩人登場

Yさんを自分が担当する番組で取れ上げられたことは、小生をこのテレビ業界で働く意思を強く固めさせることになりました。

テレビって自分の意志でこんなに人を喜ばせたり、感動させたりできるんだと思ったからです。

まして自分がお世話になったYさんのことを伝えることができたことは、本当にうれしかったですから。

しかし、そんなことは言っても小生の日々の仕事内容は、変わりませんでした。小指のない社長の運転手と暇を見つけては、番組のスタッフルームでお手伝いをする毎日です。

そんな折、この業界に入って、はたまたとんでもない恩人に出会うのです。

それは、この番組の構成作家の先生でした。

番組がスタートしたときから、知ってはいたのですが、小生ごときがそう気安く話せそうもない相手でした。

後から知ったのですが、コント作家としては、かなり名の売れた方で、この頃は、アニメの脚本家としても脚光をあびていたそうです。

しかし、その先生が、オンエアの当日遅刻してきたのです。その先生は、当日朝からのナレーション書きの仕事があったので、遅刻は番組に穴をあける事態にもなりかねないのです。

そこで小生、先生に食って掛かったのです。

教訓 時にはまっすぐにぶつからなければいけません!

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恩人Yさんの一軍登板2

一日目は、雨天中止になり、残されたチャンスはあと一日になりました。

とりあえず一軍に登録されたとはいえ、テレビ的には、やはり一軍での登板を見たいもの。あくる日の登板を信じて、その夜Yさんとの二年ぶりの再会を祝してささやかな乾杯をしました。

その時、Yさんは今の球団に拾ってもらって本当に感謝していると言っていました。

本当に野球を楽しんでる感じがひしひしと伝わってきました。「お前も環境を変えてやればよかったのに」と言われましたが・・・。

ただ辛いだけの二人の練習を思うと、その時のYさんは、本当に好きな野球を存分に楽しんでいるんだなと実感しました。

そしていよいよ翌日を迎えたのです。

天気は全く心配ありません。あとは試合の流れでYさんの登板を祈るのみです。

試合が進み、確か6回を終わって1点差でまけていたと思います。

そしてその時が来ました。7回からYさんがマウンドに上がったのです。詳しい内容は覚えていませんが、1回を無得点で抑えました。勝ち負けは付きませんでしたが、番組的には本当にラッキーでしたし、恩人の一軍の初マウンドをこの目で見ることができたことはやはり何かの縁を感じました。

余談ですが、番組放送後、Yさんへの反響も数多くありました。小生なんとなくいくらかの恩返しができたような気分でした。

教訓 環境が変われば、運命も変わるかも!

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恩人Yさんの一軍登板

早速大阪に乗り込んだ小生とディレクターは、その日からの三連戦で、Yさんが登板することを祈りました。あわよくば、一勝してくれれば言うことないのですが!

藤井寺球場に着いた小生たちは、球団の広報の人に挨拶をし、取材の意図を伝えました。「出来れば、この取材中に登板してもらえば・・・」

テレビのプレッシャーというやつです。普段のニュース枠だとジャイアンツ戦を主にやっていた時代です。まして、パリーグは、それこそ試合結果しか出ないからこういう取材は、人気のない球団は、大歓迎なのです。

とはいっても試合の流れを見ながらの登板です。こちらはそれを祈るばかりです。

そうこうしていると選手が球場に入ってきました。そして恩人のYさんとの二年ぶりの再会です。

一緒にやっていた時より、体が一回り大きくなっているように感じたことを覚えています。

そして、試合前の練習が始まりました。やはり一軍に上がった自身がにじみ出ていましたし、何はともあれ本当に野球を楽しそうにやっていました。

そして一日目のゲームが始まったのですが、確か雨で途中ノーゲームになったと思いました。この日は、不発に終わりました。

教訓 初志貫徹の意志の強さは、必ずや実を結ぶのです!

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恩人Yさんへの恩返し2

小生が携わったスポーツ番組の制作予算が少ないのは、分かったいました。4月に始まって、素材のほとんどは、局が放送したものを借りてきて再構成して流していましたし、ロケといってもほとんど都内でした。

しかし、恩人のYさんは、関西の球団です。まして、一軍に上がって、すぐに一勝ということも考えられます。だから、なるべく早く、取材に行かなくてはいけなかったのです。

小生、意を決して午後出勤してきたプロデューサーを捕まえ、直談判です。

とりあえず伝えることは、「練習生から退団、テスト入団、一軍昇格」この波乱のドキュメントをということでした。

しかし、気合いを入れて説明した割には、「だから、すぐ行かなきゃ間に合わないんだろう」といとも簡単にOKだったんです。

そしてこう続けたのです。「この番組は、そういう話をやらなければいけないんだ、こんな話はよそではやらないからな」

小生は、この時この会社に入って良かったと思いましたし、Fプロデューサーと出会ってよかったと思いました。

確か次の日には、小生とディレクターは大阪に取材に向かったのです。それも二泊三日という好条件で。

教訓 物事あったって砕けるだけではありません!

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恩人Yさんへの恩返し

ベンツの運転手に毎日憂鬱な日々を送っていましたが、スポーツ番組は、相変わらず続けていました。

そんなある日、小生の人生の恩人、Yさんからの突然の電話が、スタッフルームにあったんです。

Yさんとは、前にも書きましたが、小生がプロ野球選手の時、肩を壊して破れかぶれになる自分を助けてくれた人です。

その電話は、そのYさんが一軍に上がったとの一報でした。

Yさんは、小生と一緒にS球団を去って、大阪の方のK球団のテストを受けて合格していたのです。

そのYさんが夢にまで見た一軍に上がったとの連絡に小生わがことのようにうれしかったことを覚えています。

「俺には、野球しかない」といつも言ってたYさんが、肩を壊し、練習生そして自由契約、入団テストといばらの道から勝ち取った一軍切符です。

小生もなんとか応援しなければと、スタッフルームで騒いでいました。その時確か、大嫌いなSディレクター、そうです小生をいじめたSさんです、彼が、「この番組で取り上げよう」と言ってくれたのです。

とはいっても予算の少ない番組でしたから、大阪までのロケをプロデューサーが許可してくれるかどうか?そして、小生プロデューサーと掛け合うのです。

教訓 運命の人とは、やはり繋がっているのです!

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ベンツの運転手2

そのベンツの運転手ですが、どこに行くかというと、昼間は金貸しのための資金繰りで、横浜にはよく行ってました。

しかし、メインは夜です。毎夜毎夜、赤坂や銀座での飲みが多かったですね。いつも女連れで、二三軒はハシゴしていました。

その間、小生はというと、もちろんご相伴にあづかれるわけもなく、路上駐車をして、ただひたすら待つのみです。

大体、深夜1時2時ぐらいまでですが、一番大変だったのは、タクシーの運転手さんとの場所取り争いでした。

ほとんどは、白のベンツにスーツを着た長身の小生が運転手ですから、先方のそれとわかって文句も言わないのですが、中には、業務妨害だとか、警察呼んでくるぞだの、結構ひつこい運転手さんもいました。

さすがにその気になって、相手はしませんでしたが、あまりひつこい人だとこちらが車を動かすしかありませんでした。

でも、本当に困ったことは、電車がない時間ですから、たまにベンツで家に帰ることがあるんです。

小生が当時住んでたアパートは、大家さんが小生が昔、プロ野球の選手だったということを知ってて、貸して頂いてたのです。そこに持ってきて白のベンツですらね。やっぱりそういう道に進んだのかな?と勘違いされてたと思います。隣近所の目も正にそういう人を見てるように感じられました。

教訓 人は見た目で判断するものなのです!

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ベンツの運転手

小生を悩ましたもう一つの出来事ですが、それは、小指のない社長の運転手になることでした。

4月にスポーツ番組が始まったのですが、ちょうどその頃、社長のお抱え運転手が、辞めてしまったのです。その後、事務所にいた若い人たちが代わる代わる運転手を務めていたのですが、みんなスポーツ番組に何らかの形で絡みたかった人たちだったので、番組に関われないと知った彼らもみんな辞めていきました。

そこで、残っていた小生にお鉢が回ってきたのです。もともと、スポーツ番組における小生の仕事は、オンエア当日の野球解説者の羽田への送り迎えしかありませんでしたから。

正直、運転手をやりにこの業界に入ったわけではないと反発しました。しかし、 繋ぎだからとなんとか誤魔化されてやるようになったのです。

そして、ベンツです。今でこそ誰でも乗っていますが、今から30年近く前、450SELの白に乗っている人は、正にその筋の人ぐらいしかいませんでした。

そこに持ってきて185センチの長身の小生がスーツで運転手を務めるワケですから、そのものです。

こんな大きなベンツを狭い狭い赤坂の道で運転することの恐怖と言ったらなかったですね。左ハンドルが初めてでしたからね。

もし、ぶっつけでもしたら、それこそ小指がなくなるんじゃないかって思っていました。

教訓 逃げられない時は、とりあえず乗ってみる!

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その筋の人

Sさんのイジメはこれぐらいにして、この当時小生には、もう一つとてもいやのことがありました。

そもそも小生が就職した放送作家の事務所は、ある会社に間借りした格好でした。まあ間借りといっても社長は、一緒だったんですけど。

その元の会社はと言えば、お金の高利貸しをやっていました。社長はと言えば、小指がないのです、もちろんその筋の人です。車はベンツ。

小生も面接をしてくれたFさんを信じて入社したわけですが、その社長とあってビックリでした、一目でその筋の人と分かりましたから。この業界は、その筋の人が多いと聞いてはいましたが、正しくビンゴでした。

しかし、小生この社長さんから好かれてしまうのです。

まず、社長室には、社長のスーツが10着ぐらいあったのですが、小生のみそぼらしいスーツを見て、もう着ないからと、好きなのを銀座の英国屋に持って行って仕立て直してもらえというのです。

しかし、その柄は、やはりその筋の人が着そうなものばかり。さすがに遠慮しましたが・・。

そして、今度はスポーツ番組のアシスタントに自分の愛人を使えという始末。これも遠慮していただきましたが・・。

しかし、どうしても逃れられないことが起きたのです。

教訓 その筋の人に好かれたら大変です!

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ディレクターのイジメ3

初めてのテニスで打ち方も何も分からない小生を捕まえて、Sさんのシゴキが始まったのです。

書き忘れていましたけど、高校時代ラグビーをやっていたぐらいのスポーツマンなので、体の方も大きかったんです。身長180センチ、体重が80キロぐらいでしょうか。

その体から繰り出されるサービスは、それは素人では到底拾えないものでした。それを事もあろうに、いきなり小生をコートに立たせ、手加減なしに打ってくるのです。

ラケットの持ち方もわからない小生にですよ。元プロ野球選手の小生としても全く手が出ません。でも小生だから何とか危険なく立っていられたと思います。ど素人だったら、本当にけがをしたかもしれません。

結局、小生がコートに立ったのは、この時だけだったように思います。この時、二度とテニスはやらないと心に誓いました。

しかし後でわかったことですが、Sさんは、テニスのサービスを緩く打つことができなかったのでそうです。

どういうことかというと、簡単に言えば、不器用な手前力を抜いて打てないのだそうです。要は運動神経が悪いということですね。

しかし、このSさんとは、何かの縁で今に至るまで、懇意にさせて頂いています。この話はおいおい出てくると思います。

教訓 縁は奇なもの味なもの!

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