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2008年10月

甲子園への憧れ

ここでまた野球の話に戻るのですが、小生の行ったり来たりの人生のため、お許しください。

いよいよここから、なにはともあれ、野球との本当の付き合いが始まるのですが、バレーをやったり、帰宅クラブで不良の人たちをつきあったりしましたが、決して、野球が嫌いになったわけではありませんでした。

小生が中学一年の甲子園は、あの怪物・江川さんがいましたし、翌年には、土屋投手を擁する銚子商業が全国大会を制します。この怪物二投手に憧れて、懲りずに野球をまた始めたのです。

甲子園という舞台で目立ちたい、もちろんエースとしてあのマウンドの上で投げたい。

目立ちたがりのカッパ虫が最大に目立つ場所、それは、甲子園以外ないと心に決めました。それは、ちょっと格好のつけすぎですが、思い立つのはいつも早いのです。思い立ったら即行動、ここだけは小生のいいところだと思います。

すぐに、スポーツ屋に行って硬式ボールを買いました。

小生この時、中学二年の夏休みでした。今更野球部に戻るとも言えないし、少しでも早く硬式を投げたいという思いからでした。軟式なんかやってられるかと息巻いていました。

とはいっても、キャッチボールの相手もいないから、一人学校に行って、壁めがけてボールを投げ続けました。フォームはもちろん、銚子商業の土屋さん、また真似です。

夏の暑い中、野球部をよそ目に硬式ボールの皮が、ボロボロになるまで投げ込んでいました。

教訓 やりたくなったらまた始めればいい!

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男子バレーボール部

野球部を辞めてから、帰宅クラブを続けていたのですが、元来目立ちたがりの小生は、有志を集めてバレーボールをやり始めたのです。

バレーへの憧れは、「ミュンヘンへの道」で書きましたが、小生の中学校には女子のバレー部はあるのですが、男子のそれはなかったのです。

先輩とか、上下関係とかにはウンザリしていましたから、自分たちで作れば、そんなわずらわしいことはないし、自分たちの天下だからと、しかし集まったのは5人、これではゲームもできないし、おまけにクラブでもないから、体育館は使わしてもらえない、小生がもってたバレーボールひとつだけで練習をしていました。

とはいっても、ネットもないわけですから、練習らしい練習もできないし、そもそもどんな練習をしていいもかさえもわからないんですから、バレーの本を買ってきてやってましたね。

でも三か月も頑張っていると、学年主任のT先生が「バレーをやりたいのか?」と話しかけてくださったのです。見てる人は見てるんですね。その先生、「君たちが本気ならとりあえず同好会として立ち上げるか」と。このときはうれしかったですね。

小生、将来は全日本人入って絶対バレーをやるんだと思っていましたから、夢が一歩近づいていく感じがしました。

小生の身長は、中学入学当時160センチ、そこからひと月に1センチずつ伸びていましたので、もう170センチぐらいになっていました。もともと両親も大きかったので、180センチは超える、でも全日本級だとエースにはなれない、だからその頃からセッターをやっていました。

しかし、その夢も、「同好会になってとしてもまだ試合には出られない」、「受験勉強もやらないと」など、仲の良かった5人が3人になり、解散するのです。

このとき中一の三学期でした。何をやってもうまくいきません。こんな挫折だらけの中学生活、これでよくプロ野球まで行けたものです。

教訓 あきらめは早い方がいい!

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環境は人間を変える

ここで、小生の育った環境について書いておきます。

小生は八幡東区のOという町で育ちました。八幡製鉄と皿倉山とに挟まれた、八幡の中心です。

繁華街からは離れていたのですが、古くからのワルの町でした。

小生が通っていたO中学校は有名なワルな学校で、学区内の子供でも、隣の中学校に通わせるような、敬遠される学校でした。

小生が、入学した当時の三年生が、特にワルく、授業中に気に入らない先生に、腐った卵を投げつけたり、上履きの代わりに白のエナメルの靴を履いていたり、とその凄さは、群を抜いていました。

また、よく授業中に、よその中学校に殴りこみに行って、新聞沙汰になっていました。

もともと、目があっただけで、「ガンをつけた」と言って喧嘩になるような土地柄ですから、喧嘩が強いということが、格好いいんです。

小生、実はそんな三年生のワルたちに、可愛がられたんです。いじめられっ子だった小生も、もともと体が大きかったし、力も強かったですから、目立ってたんでしょうね。よく連れまわされました。でも彼らは、決して弱い者いじめはしなかったです。そんなこんなで小生も度胸がついたのか、喧嘩をするようになりました。

とはいっても、いつも勝っていたわけではありません。逆にかつ上げされたり、ボコボコになったりでしたけど。

でも間違いなく自分に自信が持てるようになりましたし、負けん気が強くなりましたね。

教訓 たまにはワルと付き合ってみよう!

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中学入学即野球部入部

Mとの出会いから半年後、小生も中学生です。

当時は、男のスポーツとしてまだ野球が全盛で、小学生でソフトボールもやっていない人たちまで、入部する始末。新入部員が50人ぐらいいたと思います。

しかし、その野球部は、監督もコーチもいないようなクラブで、三年生のエゴで練習しているような怖いクラブでした。

特に先輩と後輩の区別が激しく、挨拶、返事が聞こえないだけで、上級生から鉄拳が飛んできました。

練習はと言うと、キャッチボールもやらしてもらえなくて、毎日毎日、体力強化のメニューでした。練習時間も、先輩のその日の気分で決められて、遅い時は10時ぐらいまでやっていましたし、練習試合なんかで負けると、一年生のしごきの時間になるような本当に理不尽なクラブ活動でした。

当然のことながら、毎日一人やめ、二人やめ、と一週間もすると半分になっていました。このしごきは、今思えば、根性無しを判別するためのものだったのかもしれません。あの人数では、練習にならなかったのは事実ですから。

まあそういう小生も三週間目で、辞めてしまいました。

カッパ虫二回目の「けつ割り」です。

今考えると、このときはまだ本当に野球が好きではなかったんでしょう、これは、間違いです。小生はそういえば、野球を好きだと思ったことは、今まで生きてて一回もないのですから。
このときも、女の子に持てたいとか、邪心があったことは事実です。

教訓 イヤになったら一回やめてみる、それは遠回りにはならない!

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怪物Mとの出会い

小生、区の大会で優勝をした後、達成感で一杯でした。それでソフトボールもこれで一区切り、引退するつもりでした。

ところが、そのままクラブチームでソフトを続けなさいと誘われ、あまり気乗りはしなかったのですが、渋々やることになったのです。

しかし、この嫌々でやったソフトで、小生は劇的な出会いをするのです。
それはこれからの野球人生で、小生の野球のライバルと言っちゃえば、相手に失礼なので、目標と言います。

のちに阪急に入り、オリックス、阪神、ダイエーと渡り歩くのですが、その大半は、阪急の名三塁手として天才の名をほしいままにしたMです。

その出会いは、秋の新聞社主催の大会でした。Mのいるチームと一回戦で当たるのですが、区の大会で優勝している我々は楽勝ムードで相手を見ていたのです。

ところが、相手の投手の投球練習で、ぶっ飛んでしまいました。
ソフトボールだからもちろん下手投げなのですが、そのスピードたるや、今までに見たこともないものでした。と言うより、同じ小学生がこんなボールが何故投げられるのか小生の物差しではとても計れない怪物の出現でした。

その風貌も、ユニーク?で、髭つらの顔は、どう見ても中学生にし進学か見えませんでした。
試合はと言うと、3-2で勝ったのですが、彼のフォアボールに助けられた3点と彼の2本のホームランだったと思います。
小生はと言うと、とりあえず、バットに当たったのが振り遅れのライトフライ一本だった。ことを覚えています。

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努力はウソをつかない

昨年も優勝している大会、もちろん優勝候補として出場です。
八幡区内で確か40チームぐらいあったと思います。

小生は、ライトで六番。決して中心選手ではありませんでした。

あれだけの練習をしていたということもあって、妙な自信がみなぎっていました、しかし一回戦、とんでもないことになるのです。

一回表、味方投手の不調でフォアボールの連発、何と7点を献上したのです。いきなり、7点のビハインドは、さすがにシンドく、5回を終わって5-10。監督さんが集合をかけました。{お前たちは、夏休みをここで勝つために使ってきたんだろう。相手は、夏休み、遊びながら練習してきたんだぞ、負けるわけがない」と活を入れられました。一種の暗示ですね。

この暗示に我々は、見事にかかるんです。

7回に3点取って、8-10、なおツーアウト満塁で小生の打順です。このとき、全くポジティブな考えは浮かびませんでした。弱気な小生としては本当に珍しいことなのですが、「打てる」と確信していました。今思えば、すごく集中していたのでしょう。

結果は、ショートの頭上をライナーで抜けてフェンスまで達するホームランでした(記録的には三塁打)。チームはかろうじて11-10で逆転勝ち収めました。

根性無しのカッパ虫が、始めて野球をやってみんなに祝福されたゲームでした。

チームはこの試合で波に乗り、優勝するんですが、決勝までの残り4試合ほとんど、コールドゲームだったような気がします。

でも、前にも書きましたが、小生は、ライトで6番。この時代のライトは、守備が一番下手な人が守るところでした。だから決してこのときから小生が野球に図抜けていたかと言うと、全くそうではないということだけを書いておきます。

それともうひとつ、このときのチームのメンバーは、レベルが高かったです、だから優勝できたんですけどね。

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スカウトされる

小生の半生で、何回となく{スカウト}されるのですが、小学六年が最初でした。

わが町八幡は、毎年夏休み後半に学校対抗のソフトボール大会が行われるのです。このメンバーの一員としてスカウトされました。

もちろん、子供会対抗のソフトボール大会の活躍が認められてのことなのですが、普通は、スカウトではなく、選ばれると書くのでしょうが、実はこのチーム、前にも書きましたが、毎年あのクラブチームが、そのまま学校の代表として出場するのですが、そこに招へいされたのです。おそらく異例のことだったと思います。

言葉は忘れましたが、監督自ら口説かれました。何はともあれ、人から必要とされるワケですから、気持ちが悪いわけあれませんよね。

そして何より自分の野球能力を初めて認めてもらったということが何よりうれしかったですね。

ところが、そんな喜びもつかの間、夏休みに入ると鬼のような練習が待っていたのです。

毎日休みもなく、炎天下の中、それこそ個人ノックに始まり、ベーランに終わる。野球を経験された方だとお分かり頂けると思いますが、この「個人ノック」と「ベーラン」という練習は、出来れば一番やりたくないことなのです。その一番やりたくない練習の連続でした。まさにシゴかれているような感じでした。

そういえば、小生の自宅の前が急坂になっているのですが、練習が終わっての帰宅の時、この坂を這って登って帰ったこともありました。

この大会で、前年は優勝しているのですが、その陰には、こんな苦しい裏があったのかと、気がついた時には遅かったのです。まあ今思っても、小学生の練習のレベルをはるかに超えていました。

このときから、小生の野球概念は、「野球とはシンドイもの」と定義付けされました。

そして、いよいよ大会を迎えるのです。

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勝つことの面白さ

小生も小学6年となり、何もやることがないまま、時間が過ぎて行きました。「ミュンヘンへの道」で受けた感動は、まだ続いていました。(まだオンエアしてましたが)

そんな頃、子供会対抗のソフトボール大会の季節がやってきました。ちょうど夏休み前に学校をあげて行うのですが、前の年は一回戦負け。今年はというと、六年生がなんと4人しかおらず、あとは五年生と四年生を合わせた混合チーム。

しかし、幸いにしてこの六年4人は運動神経もそこそこ、ガキの頃から、よく遊んでいましたから仲が良かった。

誰から言うでもなく、練習を始めたのです。学校が終わって近くの空き地に集まって、ノックし合ったり、バッティングしたり、誰か教える人もいないのに子供ながらに後輩の面倒を見ながら、暗くなるまでひと月もやったでしょうか。

出場チーム8つ、我々はノーマークから決勝に進出していました。

そしてその決勝戦の相手は、あのソフトボールのクラブチームの主力で固められた強豪です。監督は、小生になじったあのコーチだったのです。

結果から申しますと、2対4で負けるのですが、田舎チーム(小生のチーム)が都会の洗練されたチームに戦いを挑んだ感じでした。

しかし、わがチームは一歩も引けをとらない、泥臭いけど、勝とうという気持ちは負けていなかったことを覚えています。

それもこれも、みんなで本当に泥臭い(小生この「泥臭い」という言葉が大好きなのです)けれど一生懸命に練習した成果ではないでしょうか。ミュンヘンへの道の影響は、大きかったです。

小生はこのことにすごく満足していたのですが、このあと、小生の野球人生を変える出来事が起こるのです。

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ミュンヘンへの道

小生のスポーツは、遊びの延長。勝つために鍛えられるとか、チームワークという言葉は、この当時は思ってもみなかったです。

とはいっても、巨人の星を見てましたし、アタックナンバーワンも見てましたが、あくまでもアニメの世界だと思っていました。

ところが、小学6年になった頃、男子バレーボールを題材にした、「ミュンヘンへの道」というアニメが始まったのです。

ちょうどこの年、ミュンヘンでオリンピックが開かれる年で、その大会に向けて男子バレーボールが金メダルへの挑戦をしていく物語。大古、森田、横田、猫田など、このチームの一人ひとりを毎回取り上げ、彼らのエピソードを紹介していくという形の番組でした。

なにが凄いかって、「巨人の星」「アタックナンバーワン」などと違い、正しく実話を基としたアニメなので、そのリアリティさには、迫力があり、「ここまでしなくては、世界一になれないのか?」と、子供心に感動したことを覚えています。

エースの大古が、逆立ち歩きができない、期限まで歩けるようにならないと全日本のメンバーから外される、なんでバレーボールと逆立ちが関係があるのか?しかし、大古は期限の日に10メートルを逆立ちで歩けるようになる。

またキュウリこと佐藤は、雪の為、電車が止まるのだが、代々木の全日本の練習会場まで、小田急の線路を歩いて夜の12時に到着する。確か9時間ぐらい歩きっぱなしだった。

こんなエピソードは、小生の人生観まで変えてしまった、何かを得ようとすれば、努力をしなくてはいけないということを教えてもらったような気がします。

これは、また後で書きますが、このことが、小生、野球に進むか?バレーボールをやるか?と悩むことになるのです。

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ソフトボールのクラブチーム入部

北九州という町は、野球の盛んなこと前にも書きましたが、小学生は、ソフトボールなんです。市に50から60チームぐらいのクラブチームが存在して、野球好きのただのオッサンが教えるのではなく、社会人野球経験者や、大学野球経験者など指導者のレベルも高かったです。

野球に自信を持ち始めた小生も、ソフトボールの道に進むことになります。

クラブチームというぐらいですから、実力によってAからDまでのチームに分かれていました。5年生ということもあり、小生はBチームに配属されました。

その練習はというと、遊びでやっていた野球とは、比べられないぐらい苦しいものでした。今では膝を痛めるという理由で禁止されている『ウサギ跳び』でグランド一周や個人ノック、ベースランニングなど野球の楽しさとはかけ離れたものでした。

学校の授業が終わったら、すぐ練習が始まり、19時ぐらいまでやっていました、もちろん土日の練習か試合で、朝から晩まで、幼心にどうしてここまでやらなくてはいけないのか?と、小生は野球が楽しいからやりたかったのに。

そんなだから、2か月もした頃でしたか、無断欠席するようになり、見つからないように帰宅したものです。

そして正式に退部をコーチのところへ申し入れに行った時のこと、そのコーチは小生の両親が共稼ぎで、小生が不良の仲間入りをするのではと、そんなことを懸念して入部を許可したというんです。

話はそれますが、両親が八百屋の仕事を終えて、家に帰ってくるのは、夜の8時ぐらい、その間、弟(3つ年下)と時間を潰すのに、夜な夜なうろうろしていたことは事実ですが、サラリーマンのお宅と違うのですから八百屋の息子を馬鹿にするな、ぐらいの気持ちでした。

小生にとっては大きなお世話、それよりもそんな風に見られていて情けをかけてもらってたなんて、何かいやらしい大人の世界を垣間見た気がしました。

その後にそのコーチが、小生のこと「根性無し」と呼んでいたそうです。

引きとめもしないで、教育の一端でやっているんだ、ぐらいの指導者、こんな奴らがいるから、純粋に野球をやりたい子が潰れていくんです。とはいっても、小生の場合は、練習についていけなかっただけですがね。

何はともあれ、小生一回目の「ケツ割れ」です。

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野球がうまくなった

話を野球に戻すと、どういうワケか草野球を一年もやっていると、元来体も大きかったことも手伝って、バットに当たればボールが人より飛んで行くようになりました。

今思うに、小さい頃、よく父に連れられ平和台球場にライオンズの試合を見に連れて行ってもらったことも幸いしたと思います。小生もたまには、人に野球を教える機会があるのですが、まず言うのは、「うまい人のマネをしなさい」です。

野球のうまい人を真似る。するとうまくなりますよね。小生も知らず知らずのうちにプロ野球選手のプレーが頭の中に入っていたのでしょう。

だから誰に教わることなくいいフォームで打てていたと思います。

それともうひとつ、うちが八百屋だったということです。

どういうことかというと、夏休み・冬休みになると体の弱かった父の手伝いで小学一年のころから、朝の仕入れに行くようになりました。父が仕入れたものを、車に積むのです。体の弱い父の少しでも役に立つようにと、父が仕入れた先から車に積んでいました。ジャガイモや玉ねぎだと20~30キロその他のものも合わせると1トンも積めるトラックにいっぱいに積んでいましたから、力は強くなりましたね。特に背筋が鍛えられました。

そういうことで小学4年になったぐらいですかね、野球に自信が持てるようになったのは。

すると不思議なもので、自分に自信がつくとイジメられていたことがウソのように、今度はみんなが自分の周りに集まってくるようになりました。

プラスはプラスを呼びます。勉強のほうも1や2(五段階評価)ばかりの通信簿もこのあたりから急激にアップしていくのです。

それはさておき、今度は野球に対する欲が出てきます。

ソフトボールのクラブチームに入部します。

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イジメられっ子

小生の親は八幡という町で八百屋を営んでいました。この八幡という町は、八幡製鉄の町。友達の親はほとんどが、この製鉄の関係、社宅に住み、昭和40年代前半ではそれほど贅沢ができない環境だったのです。

それがユニフォームですからね、「八百屋のお前が?」もう妬みですよ。当時ユニフォームをそろえると3000円ぐらいかかったと思います、グラブと同じぐらいするんですよ。

親父からしてみれば、サラリーマンと違い、月に2回のお休み、それも夫婦共働きの八百屋ですからね。子どもと遊ぶ時間も取れないし、恥をかかないようにという気持ちから、ユニフォームを買ってくれたのだと思います。

それから、草野球にも誘われなくなりました。確かそのユニフォームを着て野球をやったのは、一回きりだったと思います。あとは弟と二人でキャッチボールをやる時だけ・・・。親に申し訳なかったですね。

そんなことがあってから、今度は学校でもいじめられるようになりました。友達から、「八百屋の○○」と名前で呼ばれなくなり、もう勉強どころではありません。

特にU君にはやられました。お金こそ要求されなかったけど、言うことをきかないと殴る蹴る、いつも掃除用のほうきを持っていて、お尻はアザだらけでした。

学校にいる間は、彼の奴隷でした。親にも言えず、友達も見て見ぬふり辛かったですね。体は、自分のほうが大きいのですが、喧嘩する勇気もなく、ただただ耐える毎日でしたね。

そんなイジメもいつしか、先生に知れ、U君の親にも知れることになり、U君とは仲直りしたのですが、あまりにもU君の態度が急変したので驚きましたが・・・。

余談ですが、U君はこのイジメの件で、父親に一晩中電柱にくくりつけられたまま朝を迎えたそうです。昔は骨のある教育があったんですね。

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野球との出会い

では、どうしてプロ野球選手になれたのか?

そのあたりのことは、後にして、小生の半生を語る時に、その前半部分はどうしても野球のことを書かなくてはいけません。

野球との出会いからお話しましょう。

小生の生まれ故郷は、福岡県北九州市、元々野球の盛んな地ではあるのですが、小生が生まれた昭和35年は、福岡の地にとてつもないプロ野球チームが存在していました。

そうです。神様・仏様・稲尾様で有名な、そうです西鉄ライオンズです。

熱狂的な熱い九州男児の気質とマッチして、当時絶大なる人気を博していました。

生まれも育ちも北九州の親父も選に漏れず、根っからのライオンズファンでした。

しかし、親父は、野球は見るだけ、それこそキャッチボールもできない始末、小生も小学校に上がるまで、野球は見るものと思っていたくらいです。

それが忘れもしません。小学3年の時、クラスで草野球が流行り、放課後というとどこかのグランドや原っぱで三角ベースをやるようになりました。

しかし、キャッチボールもロクにできなかった小生は、いつも蚊帳の外、グラブも持ってなく、外野でボール拾いをやって仲間外れを防いでいたのが現状です。

そんなある日、親父に懇願して、グラブを買ってもらったのです。これでやめとけばよかったのですが、こともあろうに、うちの親父は、ユニフォームまで揃えてくれたのです。

しかしこれが、大変な事になってしまうのです。

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プロ野球選手そしてテレビプロデューサー

小生48歳のテレビ番組プロデューサー、とはいっても、テレビ局から番組を頂く、弱小プロダクションの営業プロデューサーであります。

そんな小生、今からさかのぼること20数年前、あるプロ野球球団に身を置いたことがあります。

とはいっても2年でクビですけどね。・゚゚・(≧д≦)・゚゚・。

プロ野球選手からプロデューサーへ、いろいろな仕事を転々としながらなんとなく食べていけてる、運の良さ。波乱万丈とは決して言えませんが、流され続けた半生を書き綴ってみたいと思います。

根性無し ヤレヤレ ┐(´(エ)`)┌クマッタネ

イイ格好しィ モジ(((*´ε` *)(* ´З`*)))モジ

そして根っからのネガティブ (。>0<。)な 

カッパ虫に よろしかったら、お付き合いください!

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