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2008年12月

ホームシック

ホームシック

寮に入ってちょうど十日と言うより、親元を離れて十日が立っていました。

「甲子園を目指して野球留学」とは、なかなかカッコいい表現ですが、現実はそんなに甘いものではありませんでした。

まだ入学前の十日間で、高校野球、甲子園、寮生活と今までの人生で感じたことのないカルチャーショックを味わったのです、そしてこのレベルで野球を嫌、高校生活を三年間も続けていけるのか?不安に押しつぶされていたのです。

そんな気持ちが、入学式のため、奈良まで来てくれた両親と会った途端、涙となって表れました。

まぎれもなく、「ホームシック」でした。

この時、両親の愛情を痛いほど感じました。「可愛い子には、旅をさせろ」とはよく言ったものです。親元にいた時は、何も分からなかった親の有り難味、離れてよくわかりました。

当然、小生の涙を見て、両親は心配しました。

特に父親は、自分も、八百屋の丁稚奉公で中学を出て、住み込みで修業をした身です、小生の顔を見れなかったのを覚えています。

そんな時です、母が「自分で選んで入った高校やろ、甲子園なんか出なくていい、三年間しっかり頑張りなさい」と一括されたのです。

本当は、地元の高校があれだけ誘ってくれるのを蹴ってまで、T高校に進学したのです、決して、商売の方が楽になった訳でもなく、地元だとお金もかからなかったのに、それを何も言わず、奈良の高校に進ませてくれた両親、今振り返っても恥ずかしい思い出です。

しかし、小生この「ホームシック」とずっと付き合っていくのですが、この時は、母の一言でとりあえず収まりました。

教訓 親元を離れるときは、覚悟しろ!

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甲子園球場

奈良にきて三日目、ちょうどこの年T高校は選抜に出場していましたので、応援のため甲子園へ。初めて見る甲子園球場、夢にまで見たところです。もう感無量でした。

ここに出るために、ワザワザ野球留学してきたんだと、改めて夢の舞台を前に、自分の気持ちを確認したのです。

しかし、母校は、福井高校に負けたのですが、やはり甲子園とは恐ろしいところだと、改めて感じました。と言うのは、母校の次の試合に鉾田一校が出場したのですが、そこのエースピッチャーの戸田を眼の辺りにしたからです。

彼の試合前の投球練習を我々が応援するアルプススタンドの目の前で見たのです。彼は前の試合、ノーヒットノーランを達成していましたので、甲子園でも注目されていたピッチャーだったのですが、全国レベルの凄さをまざまざと見せつけられた感じでした。

何が凄いかというと、ストレートのスピードはもちろんのこと、カーブのエグイこと、スピードが全く落ちないで、何か強力な磁石で地面に引き付けられているような落ち方をするのです。

そして、戸田投手から出てるオーラ、「俺はお前たちとは違うんだ」みたいな強烈な自己主張を感じました。

これは、打てないと正直思いました。上には上がいるもんだと。しかし甲子園で優勝するということは、こんなピッチャーを攻略しなければいけないんだと改めて、末恐ろしくなりました。

昨日のホームランなんか喜んでいる場合じゃありません。

甲子園に感動し、甲子園のレベルに脱帽した、一日になりました。

教訓 生甲子園は一回体験すべし!

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甲子園のマウンドはあきらめた

今思えば、いとも簡単にピッチャーをあきらめたなと思います。あれだけ甲子園のマウンドに憧れていたのに!

しかし、人生は分からないものです。この時点でピッチャーを断念しても、プロ野球には、ピッチャーとしてスカウトされるのですから、まあこの話は、まだずっと後のことですが。

一日目の練習で、あれほどのショックを受けたのだから、ピッチャー断念は当たり前と言えばそうだったかもしれません。

二日目の練習開始前、監督に、バッター志願をしたのです。そしたら、「お前はもともと、バッターでとったんだ」でした。この言葉に内心ホッとしました。そうは言っても、バッティングにそんなに自身があったわけではありません。

そして、そのバッティング練習です。上級生のそれが終わり、入学前の我々の番です。こちらもボーイズ出身の奴らの独壇場でした。右に左に計ったように打ち分けるのです。やはり中学時代から硬式に馴染んでいるから、硬式の打ち方みたいなのが分かっているんだろうなと感心していました。

そうこうしていると小生の番です。やはりここでちゃんと打たないと目立ちませんから気合を入れゲージに入りました。するとあろうことか、ピッチャーが変わったのです、それも昨日ボールが取れなかったKに。取れないのに打てるわけがありません。

しかし、これだから人生は分からない、またもやあろうことか、初球をレフトに柵越えのホームランです。Kも多少は手抜きをしてくれたと思いますが、初ホームランでした。

驚いたのは、小生よりも、T高校野球部でした。

教訓 捨てる神あれば、拾う神ありです!

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レベルについていけない

初めての硬式野球の練習です。朝からかなり緊張してました。だって今までやってきた野球の練習は、どう考えても、子供だましの野球でした。

それが、いきなり高校野球、それも甲子園常連校ですからね。自分の体力で、練習についていけるのか?怖かったですね。

その予感は、練習のアップから的中しました。いきなりダッシュ30本。数は大したことないのですが、二人のコーチがつきっきりで目を光らせ、「手抜き」ができないのです。

いくら九州で走り込んできたとしても、やはり一人でやる練習には、甘えがあります。ただ走ればいいじゃなくて、いかに密度の濃い走り込みをするかです。

それから、投手と野手に分かれた練習になったんですが、野手は、キャチボールやトスバッテングとやることがあるのですが、投手はと言うと、またランニングなんです。ただ走る、短距離、中距離、長距離と午前中いっぱい走ってました。この時点で、完全にギブアップです。

午後から、やっとピッチング練習です。入学前ということもあり、一年の投手同士で投手と捕手をやるのですが、小生、大阪ボーイズ出身のKと組んだのです。

このKの球が全く捕れないのです。早くて。体はさほど大きくないのですが、ボールが浮き上ってくる感じです。しかし、驚きは、このKだけではなかったのです。

投手で入ったメンツの顔ぶれは、他にもボーイズ出身が2人、軟式出身の中京地区優勝投手、和歌山からアンダースローと大型右腕、それとセレクションで一緒だったAと小生です。

この中で小生が一番遅かったですね、ボールは。前日、Aが「とんでもない所へ入った」という言葉の意味が初めてわかりました。

教訓 甲子園を狙う高校は、普通の子は来ません!

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T高校へ

そんな小生の不安な日々も過ぎ、いよいよ高校進学の春を迎えるのです。

ユニホームやら、グローブやらまた親に散在をかけてそろえた貰らいました。そしていよいよ3月も終わろうかというとき、T高校から「早く来い」と連絡があったのです。

こっちは、入学式に行けばいいだろうぐらいに思っていたのですが、聞けば、セレクション合格者はもうみんな練習に来てるというんです。小生も早速、向かうことにしました。

これは思い出ですが、小倉駅の新幹線ホームに同級生10人ぐらい見送りに来てくれて、嬉しかったです。小倉を出た新幹線の中で、甲子園に必ず出るから、みんな応援に来てくれよとすごく感動して一人で誓ってました、しかし、その後何かわからないけど、涙が止まらなかったことを覚えています。きっと知らない世界へ入っていく不安からだったのでしょう?

そして夕方には、T高校野球寮に到着しました。

セレクション合格者しか入れない、野球をやるため、甲子園に出るための寮です。

右も左も分からないまま、寮に入っていったのですが、みんな体が大きかったですね。何かよそ者でも見るような眼で見られたこと覚えています。甲子園を目指すライバルですから、しょうがないのかと思いつつも暗い気持ちになっていきました。

でも、ホッとしたのは、セレクションで一緒だったAの顔を見たときです。そんなに親しくもない、それこそあの時一言二言言葉を交わしただけなのに、安心しました。知り合いは彼しかいないのですから、当たり前と言えばそれまでですが。

そんな彼が、「俺達とんでもない所へ入ったみたいだぞ」と脅すんです。

教訓 一人は辛いです。でも避けて通れないときもあります!

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高校野球に向かって

セレクションに通って一安心と行きたいところですが、そうは行きません。

セレクションで会ったAのことが気になります。この時点でまるで敵わないのですから、かといってどういう練習をすればいいのか?相談する人もいません。

そして、一人でやる練習には、限りもあります。

自分で考えて自分でやるしかないのです。そこで、まず考えたのは、野球のレベルより、高校の練習についていける体力作りからやろうと思い立ち、よく走りました。

入学まで3か月、標高600メートルの皿倉山に駆け上がったり、その山の裏にある河内貯水池(片道10キロ)を往復したり、まるで長距離選手のように毎日34時間は走ってました。

後は、トレーニングセンターで筋力トレーニングは、やってましたが、あくまでも自己流です。練習をしながらもその練習に不安を抱えていました。

話は全く違うのですが、そういえば、こんなことがありました。

小生の担任(陸上を教えてくれた)が、「お前どうしてもT高校へ行くのか?お前、野球よりバレーの方が絶対成功するのに」とバレーボールを進めるのです。もちろんバレーと言ってもクラブ活動でやっていたわけではないのは、前にも書きましたが、福岡の全国レベルのN高校のバレー部の先生を知っているから、そっちを受けてみないかと、もちろん断りましたが、もしT高校のセレクションに通ってなかったら、そちらに進んでいたかも知れません?

何はともあれ、不安との戦いでした。甲子園というとてつもない夢に向かって、ただただガムシャラに走っていましたね、この時期は。

教訓 不安な時は、走るしかない!

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セレクション

年も押し迫った1229日だったと思います、セレクションの日を迎えたのです。

もちろん奈良のT高校野球部グランドまで行きました。

受験者は三人、熊本から来た小生よりも大きい子と大阪出身のA君、彼も180ぐらいはありました。三人ともピッチャー志望でした。

そしてセレクションが始まったのです。

まずは走力、50メートルそうです。あれだけ練習して、学校で一番早く走れるようになったんですから、自信は持ってました。しかし、やはり甲子園常連校のセレクションに来るような奴はすごい。大阪から来たAに簡単に負けてしまうのです。

次の遠投も、小生90メートルくらいは投げたのですが、また彼はその上をいってました。

そして、いよいよピッチングです。Aと並んでブルペンに入ったのですが、どう見ても負けているのです。その時コーチから、「それがいっぱいいっぱいか?」と言われて、「まだまだです」と答えましたが、カラ元気でした。

そういえば、足のことばかり気になって簡単なキャッチボールぐらいしかやっていませんでした。こりゃ駄目だなと思いました。

そして最後は、バッティングです。硬式を打つのこの時が初めてです。しかしこれが打てたんです。ホームランこそなかったんですが、フェンスにダイレクトに当たったり、右中間、左中間に長打性の当たりを連発しました。

Aに勝ったのは、結局バッティングだけでした。

そして、この大阪出身のAと小生は、めでたくT高校のセレクションに合格したのです。

教訓 自分の力を過信しない、だけど信じなさい!

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陸上の練習

セレクションの話を聞いたのが、11月の終わりですから、セレクションまであと1月余り、投げること、打つことは、いくつもの高校から誘いが来ているのですから、それなりに自信は、ありました。しかし、問題は走ることです。足ってそんなに急に早くなるものではないですよね。でも、諦めるわけにはいきませんから。

そこで担任の先生に相談したんです。元々、先生は、O中学に陸上を教えたくて赴任してきたぐらいですから、陸上のスペシャリストです。(でも小生のころには陸上部は解散してました)

100メートル13秒そこそこの足を12秒にして下さいとお願いしました。そこから、放課後、小生の陸上の練習が始まりました。みんな受験勉強の真っ最中、小生だけが、グランドで走っているんですから変ですよネ。でも、これが小生の受験勉強ですから仕方ないですよ。幸い、野球部で一番足の速かったOが、一緒にやってくれることになり、シンドイ練習も何とか耐えられました。

しかし、足を早くするだけでもこれだけの練習法があるんだと感心しました。もも上げに始まり、腕振り、スターとの時の足の運び、スピードが乗った時の姿勢などなど、さすがは陸上のスペシャリストです。

20日もすると太ももが、太くなってるのがはっきりわかりましたから。そして練習の終わりは二人で交互の100メートルの追いかけっこをするんですが、初めのころは全く追いつかなかったし、抜かれていましたが、

この頃になると、ほとんど対で走れるようになっていました。ということは12秒そこそこで走れるようになっていたのです。やっぱり指導者ですね。

教訓 足を早くしたいなら、絶対陸上部の先生に習いなさい!

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甲子園に行きたい

高校進学に向けてのいよいよ受験勉強、と言いたいところですが、小生、勉学の方もなかなかで、T商業だと何もしなくても受かるので、何か気が抜けたように遊んでいました。

ちょうど11月に入った頃だったと思いますが、叔父さん(八百屋の大変さを説教してくれた)が訪ねてきて、小生に向かって「奈良のT高校に行かないか?甲子園に行きたいのなら、そちらの方が確かだぞ」と、いきなり言われたのです。

奈良のT高校と言えば、甲子園の常連校、全国制覇こそしていませんでしたが、強打のTとして全国的に名の知れた高校です。

一方、当時の福岡県はと言うと、毎年違った高校が代表になるほどの戦国時代でした。それは奈良のT高校に進んだ方が、圧倒的に甲子園に近かったのです。

正直、叔父さんの一言に目の前がパッと明るくなったようでした。Mとのバッテリーより、甲子園のマウンドの方がやっぱり魅力的です。野球を始めた時からのカッパ虫の夢ですからね。とはいっても、もう11月、今から受験勉強してもあと3月ちょっと、間に合わないかもと思いました。私立高校を全く受けるつもりさえありませんでしたからね。

しかし、そうはいっても行きたいですから、必死に勉強を始めました。奈良からT高校の試験傾向を取り寄せて、でもやはり難しいんです、問題が。

そして、11月も終わろうかという時になって、叔父さんが、T高校の野球のセレクションの話を持ってきてくれたのです。

期日は12月の終わり、セレクションは、走力、遠投、ピッチング、バッティング、もちろんボールは、硬式です。セレクションは渡りに舟でしたから喜んだのですが、小生の欠点である走力のテストがあるとは、足で落とされると思いました。

教訓 目標は高い方がいい、身の丈は誰かが教えてくれる!

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どこに進学する?

小生のたった一年の中学野球が終わり、心は早、甲子園を目指して、どこの高校へ行くかと、夢は限りなく広がっていました。

二学期になって、いくつかの高校から声がかかっていることを知らされました。北九州市内の強豪校を中心に。中でも、甲子園に数度出場している県内屈指の進学校なんかは、家庭教師をつけるから、ウチを受けさせてくれとまで言ってくれたそうです。

もっと驚くのは、沖縄のT高校からも声が掛っていたといいます。有名なS監督のいたあの学校です。

そして、一番熱心だったのが、小生にピッチングを教えてくれた,先輩が通うT商業高校でした。

T商業高校も甲子園に出場経験があり、OBがプロ野球にもいましたから、強豪です。家も八百屋ですから、小生にはピッタリですね。

そして、一番魅かれたのは、あの天才Mも来そうだということです。その先輩のもくろみだと、Mと小生でバッテリーを組ませたいと思っていました。そうなるともちろん、Mがエースで小生がキャッチャーということになりますよね。ピッチャーの素材としては、一枚も二枚もあちらが上ですから、これはショウガナイことです。

でも、小生の夢は、あの甲子園のマウンドに上ること、少なくともこの夢は、難しくなってきます。

でも、Mが来るならおそらく甲子園は、グッと近くなものになります。それと、Mと同じチームでやってみるのも悪くないなと思ううち、小生、T商業高校を受験することを決めるのです。

教訓 夢のため、夢を捨てることも大事!

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天才Mが滅多打ち

Mの投球を見て、どう見ても相手に勝ち目はないと思いました。もし負けるとしたら、フォアボールで自滅しかないと。しかし、全くもって信じられないことが起きたのです。

Mの立ち上がり、案の定フォアボールを連続で出してノーアウト一塁二塁、その後のバッターにレフト前の運ばれ満塁、そして4番バッターにレフトオーバーのホームランです。

確かに、ストライクを取りに行っていたと思いますが、全く信じられない光景を見ました。

結局このあとフォアボールを出したところでマウンドを降りて、ショートに回りましたが、同じ中学生にあの球をヒットできるのか、それもレフト方向に引っ張ってですよ。

本当に驚きました。でも天才Mはそのままで終わりませんでした、今度はバッターとして2打席2ホームランを打って面目を保ちました、でも試合には敗れてしまいました。

Mを破ったこのチームが夏を制するのですが、実は、春にこの2チームは練習試を行い、そこで、Mにコテンパンにやられたそうです。それでこの夏は打倒Mの練習を積み重ねてきたのです。

この中学の監督さんは、なんでも社会人野球出身で、コーチまで務めた方だそうです。

その監督が、打倒Mとしてやった練習が、小生も驚きましたが、現役の高校の投手を連れてきて、3メートル前から全力で投げさせたと云うんです。まるで、作新の江川投手打倒の練習ですよ。とにかく速い球に目を慣らす、そして、振り負けない、あとはボールのキレですが、フォアボールを二つ出したあとだと、やはり置きに来ますからね。

だから、打倒Mは、成されるべくして成されたのかもしれません。

やはり指導者ですね、野球は。

教訓 天才一人では、野球は勝てない!

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Mとの再会

小生の夏は、二回戦負けという形で終わりました。

その負けた試合後、三年ぶりにあのMと出会うのです。小生たちの次のゲームで偶然に!

投球練習をしていたMを見たとたん、何じゃこれはという驚きでした。まず体の大きさ、180センチは超えていたでしょう、小生も184センチありましたが、その体が鋼のように筋肉隆々。小生とは比べ物にならない体のでき方とでもいいましょうか。完全に高校生の体でしたね。

そしてボールの速さ、自分のボールは自分ではわかりませんが、おそらく小生のそれとは、球の伸びが全然違ってたと思います。彼の手から放たれたボールはまるでピンポン玉のように浮き上がって見えるのです。

小学生の時見たMも凄かったですが、この時の衝撃の方が鮮烈でした。もう本当に天才・怪物・スター、言葉では、表わし様のない化け物でしたね。

小生は、この後いろいろな野球の天才に出会うのですが、この時のMを見たから、あまり驚きませんでした。

球の速さ、足の速さ、スイングの速さ、どれをとってももうこの時点で超高校級だったんでは、と思います。ちょっと大げさですかね。でも、間違いなく高校に入ってすぐに使える素材でした。

Mの試合に話を戻しますが、球は滅法速いのですが、小生と同じでストライクが入らないのです。

それにしてもこの試合で信じられないものを見るのですが、それはまた次の機会に!

教訓 上には上がいます!精進精進!

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夏の大会

散々悪口をたたいてきましたが、イレズミ監督に最後にこんなに良くして頂き、心が通い合ったとは大げさですが、何か吹っ切れた感じで、いよいよ大会を迎えました。

相手は、強豪のA中学。のちにこの学校の3人が、進学校Tで甲子園に出場するようなチームでした。

しかし、小生またもやノーヒットノーランをやってしまうのです。

なんとなく投げているだけなんですが、打てません。本当にどうなっているのか?驚きの連続でした。

でも内実は、ストライクを取るのが精一杯でした。

確か5つぐらいは、フォアボールを出していたと思います。キャッチャーはコースに構えていましたが、そんなコントロールがあるはずもなく、タダど真ん中を狙って投げ込むだけでした。

でも、二試合続けてノーヒットノーランですからね、いやが上にも、期待が高まっていました。特にチームメートからの信頼は絶大です。ボールが外野に飛ばないのですから、このまま、勝ち進んでと、そんな夢を見ていました。

ところが次の日には、そんな夢もはかなく消えていくのです。

二回戦、春の大会で負けた相手です。やはり意識していたのでしょう?初回からストライクが入らないのです。確か一回に3点取られたことと、ヒット一本しか打たれてないことしか覚えていません。頭の中真っ白でした。

これで、あっけなく最後の夏が終わったのです。

教訓 思い付きでは、絶対に勝てない!地に足をつけて!

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夏の大会前日

そして、最後の大会を迎えるのです。

ピッチャーになってわずか20日、不安で不安でしょうがありませんでした。そんなことを察知してか、監督が大会の前日、小生とキャッチャーのバッテリーをサウナに連れて行ってくれました。全身の入れ墨を見るのは初めてでした。

そこで、監督が、突然イレズミを入れた訳を話しだしたのです。「おじさん、子供のころ、友達がいなくてな、いつも仲間外れだった。だから、いつからかケンカが強くなりたいと思うようになり、ケンカばかりしてた。気がついたら、誰も寄り付かなくなってな」とこんな感じで、淡々と始まりました。高校を出るころには、もう引き返せないほどのワルになっていて、その道に入ったそうです。イレズミも、そんなときに、本当に若気の至りで彫ったそうです。

そんな話をした後、小生たちに向って、「おじさん、この一年楽しかった、お前たちよく付いてきてくれた、あれだけ練習したんだから、絶対優勝できる」と。

何を根拠にそんなこと言ってんだと思いましたが、何か監督がすごく近くの存在になりました。

よく考えると、誰が好き好んで一年間、ほとんど休みなしに練習に付き合ってくれるだろう。この監督は、小生たち生徒が好きだったんだきっと、そして強くしてあげたいと思ったんだと、その後、焼肉屋に連れて行ってもらい、腹いっぱいごちそうになりました。

そして、小生の気持ちはいつしか落ち着いていました。

だって、こんな強い監督が、味方なんですよ、相手に回すとあんなに嫌だったけど、味方にするとこんなに心強い人はいませんから。

教訓 人それぞれの人生がある!

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念願のエースに!

春の大会を敗退してからも、練習内容は全く変わりませんでした。というより、監督は、何をどう教えたらいいか分からなかったんではないでしょうか?

おまけに練習試合も全く行いませんでした。

そして、いよいよ最後の夏、7月になったのです。とおもったら、監督何を思ったか?小生をいきなりピッチャーをしろと言いだしたのです。

大会までもう20日もありません。

そして監督の言い分が「お前もここまで来たら、もう(野球部を)辞めないだろう」ですからね。しかし、どう考えても間に合いませんよね。

でも、正直うれしかったです。ピッチャーやるために野球部に入ったんですから。

練習はと言うと、あの小生をピッチャーに指名して、ボコボコに殴られた当時三年生の

先輩(T高校の野球部に所属)を呼んで、マンツウマンで指導されました。

大会までの時間がなかったですから、フォーム作りは、大変でした。

そして、ピッチャーになって10日もたった頃でした。いきなり練習試合の話を持ってきたんです。それも、社会人のクラブチームです。大会直前ですから、中学は駄目だったんでしょうけど。

小生、初マウンドが、大会10日前です。とりあえず、ストレートをがむしゃらに投げ込みました。

気がつけば、死四球を数個出しただけのノーヒット・ノーランでした。

こんなことがあるんですね。驚いたのは、小生自身でした。

監督はと言うと、してやったりとご満悦でした。

教訓 夢は最後の最後まであきらめない!

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続イレズミ監督

続イレズミ監督

春の大会、二回戦敗退、自分の無知に呆れはてていました。

一方、監督はと言うと、O中学の伝統のユニフォームを一新すべく、町の商店さんや企業さんから寄付金を集めていました。そして、野球部の部費や部員からも寄付を取ることなく新しいユニフォームを作ったのです。

実は小生、今までの伝統あるユニフォームが大好きだったのです。白を基調にした渋い感じで、広島商業のユニフォームに似てましたから何か通好みで強そうに見えたんですけどね。

それを悪趣味の?監督が、ユニフォームの色、柄から帽子、ストッキングまですべて一人で決めちゃいましたから。まあ、何か草野球のオヤジが着るユニフォームみたいでしたね。

出来上がった日、練習はお休み。何をしたかというと、そのユニフォームを着て、

お礼参りです。

さすが、筋は外さないです。

その筋の人ですから、我々部員にお礼の口上まで練習させられました。

二人一組で、それぞれの指定された、商店や企業回りです。

小生たちは、製鉄の下請けの大きなY工業、普段は入ったこともないビルにはいって専務さんに挨拶しました、あと大きな肉屋さん、何十頭と牛の肉が上からぶら下がっていました。

後でわかったことですが、うちの監督は、どうやらこの町の総会屋をやっていたみたいです。

だから、それを利用して、我々のユニフォームの代金を寄付金で集められたのです。

教訓 たまには長いものには巻かれるのもいい!

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春季大会

春季大会

今まで、よそのチームばかり褒めてきましたが、この年の小生のチームも負けず劣らずの大型チームでした。

だって180センチを超える選手が小生を含めて5人もいました。(ちなみに小生はこの春には184センチ)高校の野球部と言っても遜色ありませんでした。

運動能力もみんな高く、100メートルを12秒そこそこで走る選手が4人(小生はまだ13秒)、遠投も80メートルを超える選手も6人と、この中学校の優秀な奴の集まりでした。ちゃんと鍛えたら本当に強くなったと思います。

10年近く前、中学校のOBで作る野球チームの会合に行ったとき、先輩から「お前たちの時代が一番強くなきゃいけなかったよな」となじられたくらいです。

何はともあれ、いよいよ球春を告げる春季大会です。

小生キャッチャーで4番、しかしまだバッティングは湿ったままです。一回戦は、エースの好投で勝ちましたが、次の二回戦、確か1対2の接戦で敗れました。なんとなく練習してなんとなく試合すれば、そりゃ負けますよ。そんな感じでした。

しかし、この時の審判の方に試合後、呼ばれて、小生のキャッチャーとしてのリードを指摘されたのです。

バッターの構えや打順、ピッチャーの出来を見てリードをしてるか?と、小生のリードは、あまりにも単調すぎるらしいんです。確かにフォアボールになると監督から怒られていましたから、フォアボールにならないようにという思いが強かったです、しかし、配球が読まれないようにカーブから入ったり、してたんですけど。真っ直ぐが打てないバッターになぜカーブを投げるんだと、それでカウントを悪くしてると、言われてみればその通りです。目からウロコです。初めて野球を教えてもらいました。

教訓 野球を知ってる人に習いなさい!

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