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2009年2月

家族会議

実は、バッターでという球団もあったという話を聞いて、実は小生そちらの方が自信があったのですが。

うちの父も、てっきり打者でのスカウトだと最後の最後まで勘違いしてたくらいです。

でも、監督さんの親心も分かります。だって小生、もしプロに行ってどこを守るのかと聞かれたら、正直困ります。

まあ外野と答えるでしょうが、プロで通用する守備技術は持ち合わせていません。

かといって、本当にホームランバッターになれれば、プロ野球でも一塁手と言うポジションを守れるでしょうが、外人さんの長打の勝負は目に見えています。

だから監督さんは、投手で熱心に誘ってくれたS球団以外は、社会人入りと考えてくれたみたいです。

そして、プロ入りの件で、家族会議になりました。

両親と父親の兄弟二人が集まって、ああでもないこうでもないと言い合っていました。

自分の気持ちは、家の借金のことがありましたから、決まってました。

だって自分のまいた種ですから。

しかしここで一人だけ、猛反対者が出たのです。

母です。

社会人に進めというのです。

「奈良の高校を抜け出すような男が、プロで通用はしたい」キツイ一言でした。

でも、母の本心は、息子を借金の方にプロ野球に売りたくなかったと思います。

教訓 どうせ一度の人生、悔いは残さないように!

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やはりプロ野球?

小生の父親の一言で、あっけなく大学の道を諦めなくては行かなくなった小生は、もう大手銀行の野球部にお世話になろうと心に決めていました。

他にも二三の社会人のチームからお誘いはあったみたいですが、熱心に勧誘して下さった所にお世話になった方がいいと思っていましたから。

これで小生の就職も一件落着かと思われたのですが、実はここから急展開を見せるのです。

プロ野球のS球団のスカウトが急に会いたいというので、練習場に二人で現れたのです。

一人は、もう何回か会いに来て下さってる方でした、その方が、もう一人の方を紹介してくれたのですが、何でもそのチームのチーフスカウトさんでした。

早速、その方の前でピッチングです。数十球も投げたでしょうか、投げ終わった後、何やら監督とヒソヒソ話。

その夜、また監督が自宅に現れたのです。

大手銀行の野球部の話がついたばかりですよ。

監督は、「今日正式にS球団から入団の打診がありました。」

返事を待っていると言い残して帰って行ったというんです。

早速ですが、「どうされるか、考えて下さい。」とこうです。

そして付け加えて、「実は、バッターでという球団もあったのですが、息子さんの実力を考えますと」と意味不明の言動。

どうも小生のプロ入りは監督自体が、先送りしたかったみたいなのです。

確かに、六月ごろ三日と開けずいろんな球団のスカウトが見えていましたから、あの時、監督とそんな話をしていたのでしょう。

教訓 人生一寸先は闇です!

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父の話

大手銀行のセレクションに合格した日、高校の監督さんが自宅にお見えになり、銀行に行くことを勧めました。

両親も、野球のことなど全くわかりませんから、拾ってくれるとことがあるのならと、社会人野球入りを希望しました。

しかし、小生はどうしても大学に進みたいと思ってました。現にこの頃になるといくつかの大学からも声がかかっていました。

小生が大学にと思ったのは、やはり就職して、野球を出来なくなった時のことを考えてのことでした。

企業人になることは、やはり出世が気になります。

高校出と大学出では、ゆくゆくの昇進が違ってきます。

だから、できるなら大学までと思ったのです。

そんな時です、父から重大なことを聞かされたのは。

それは、家の借金のことでした。

神棚の前の呼ばれて、通帳をみせられました。

今でも覚えています。当時の金で600万円。

前にも書きましたが、奈良の高校進学で郵便局から借金をしてることは知っていましたが、これほどあるとは。

それとこれも書きましたが、父は体が弱く、八百屋の重労働に入退院を繰り返していました。

これで小生の大学行きは、消えたのです。

教訓 親は絶対です!

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社会人のセレクション

セレクションは、肉離れのせいでみんなとは別メニューだったのですが、軽いピッチングを後ろで見ていた方が20球も投げた時、「もういいよ」と声をかけるんです。

こりゃ駄目だったんだろうなと諦めつつ、バッティングゲージへ。

打つ方には、肉離れは支障なかったのでしっかり打ちました。5スイングだけだったのですが、柵越え1本とレフトオーバー2本。こちらの方は手ごたえ十分です。

そして、いよいよ発表です。受験番号1番だった小生、まさかの合格。

合格者5人の中に入ったのです。

そしたら、明日筆記テストを行うので、ホテルを取るから泊ってくれと言うんです。

小生は、友達と一緒に来ていましたから、一人だけ泊まるのはできないと返事したら、では今からテストするというんです。

大急ぎで、テストを受け、神戸のフェリー乗り場までマネージャーの方が車で送ってくれました。

何か、高校のクラブ活動とは違う、優越感を感じました。と一緒に企業ってすごいんだなと思いました。

九州に戻ってから、1週間後に大手銀行野球部の監督さんが学校に来られ、是非とも来てくれという話になりました。

大変有り難いお話でしたが、小生の気持ちは、やはり大学に行きたい気持ちが強く、考えさせて下さいという返事をしました。

そんな時でした。父から驚く話をされるのです。

教訓 上手く行きだしたら、悪くなるまで突っ走る!

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プロのスカウト

本当に夢みたいな話でした。まさかプロの目に止まっていたとは!

しかし、小生のことどこで見ていたのでしょう?大した実績もないのに、未だに不明です。

考えられるのは、T商業高校のOBはこの当時3人もプロ選手がいました。オフになると高校にきて一緒に練習していましたから、この先輩たちの呼びかけによるものだったかもしれません。

事実、この3人の先輩がいる球団のスカウトも、このあと小生のところへ何回となく視察に来ましたから。

何はともあれ、これで卒業後も野球がやれそうになってきたわけです。

そして、夏の大会が近付くにつれ、スカウトの方が視察に来る頻度も増えていきました。わからないのは、スカウトの方も投手として買ってくれてるのか、打者として買ってくれてるのかはっきりしないのです。

しかし、小生この時点でも、本当にプロへ行けるとは、思ってもみませんでした。

監督には、できれば大学に行きたい旨を伝えていました。

そして、夏の県予選も終わり、八月に入ってある社会人からのセレクションの誘いがきました。

関西にある大手銀行だったのですが、行ってみるとなんと100人近い受験生がいるのです。

それもある程度腕に自信のある連中でしょう。

小生この時、足に軽い肉離れを起こしていましたので、軽いピッチングとバッティングだけのテストでした。

教訓 人生どこで転機が訪れるか分からない!

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一年間のコーチ時代

小生の高校野球はこうして終わったのですが、学校はまだ一年以上もあります。

野球部のコーチをやりながら、来年度の大学、社会人のセレクションを目指して練習をはじめました。

かといって高校で一浪して取ってくれるところがあるだろうか?と心配でした。

練習でいくら投げ込んでも、ゲームで投げれないというハンディは、やはり大きいのです。だってバッターとの真剣勝負で培われるゲーム感やそれをもとに自分の形を形成していく実戦練習が全くできないのです。

肩の疲労度だって全然練習と試合とでは違います。

打つ方だってそうです。打たせないように投げてくるボールと打たせるためのバッティング練習とでは、まるで違うのです。

そんな悶々とした日々続きましたが、日々の練習は、現役の野球部員よりやっていました。

そして、三年の春を迎えるのです。

いつものように後輩たちとグランドに出て練習を始めた時でした。

ベンチにいる監督からいきなり呼ばれたのです。

行ってみると監督の隣にスーツを着た一人の紳士がいました。

この人実は、ロッテ球団のスカウトでした。名刺を頂いてこう言われました、

「プロでやる意思はありますか?」

その時は、何か夢のような心地でした。全くの実績もない自分にプロのスカウトが会いに来てくれたのですから。

教訓 やはり夢は見るもんです!

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本当に最後の大会

最後の最後にきて、やっと高校野球の楽しさを実感していました。

本当に遠回りをしてきましたが、ここにきてやっと自分の本来の力が出てきたようです。

というより、自分の力に自信を持てるようになったのです。

こうなるともうしめたものです。小生もう自身の固まりでした。

投げては、千切っては投げ、千切っては投げの快投です。バットに当たってもまず外野まで飛んで行きませんでした。

自分で言うのも変ですが、投げてて全く打たれる気がしません。

打っても、長打長打の連発です。今までの自分とまるで別人です。

そして、最後の秋の大会を迎えるのです。

結局三回戦で負けるのですが、一回戦、二回戦は、夏の甲子園出場校やバッテリーともプロのスカウトにマークされた高校を撃破したのですから満足でした。

三回戦で敗れた相手は、この夏の大会で足をすくわれた同じ相手でした。

だからでしょう、初回から力が入って、フォアボールの連発、気がついたときは、4点のビハインドでした。確か46だったと思います。

また悪い病気が出たのですが、何かさばさばしていました。

最後は、自分らしい終わり方だと納得です。

でも、新たな目標ができました。

この秋の自信で、一つ上で野球を続けたいと思うようになっていました。

大学、社会人どちらでも構いませんでした。

この時は、まだプロに行くなどとは、夢にも思っていませんでした。

教訓 高校野球は2年五か月の青春!

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自分のための野球

投手としての調子は、上がりませんでしたが、野球に対する取り組みは、手抜きなしです。

毎日、小生の家から学校までの通学路、12キロの道のりを行きも帰りもランニングでしたし、練習でも、ほとんど走っていました。

決して結果を求めてやっていなかったと思います。ただ野球にどれだけ没頭できるか、自分を試しているような感覚だったと思います。

そんな時です。小生に目を掛けてくれていた監督が、「もうそろそろ本気出さないと間に合わないぞ」と叱咤激励されたのです。

もともと小生の野球能力を高く評価してくれていましたから、監督からしたら本当は腹立たしかったでしょう。

そして、ズバリ「お前の弱点は、先暗示だ」と指摘されたのです。

「後先考えずに、思いっきり投げてみろ、フォアボールを恐れてどうする、負けるときはどうやっても負けるんだから」続けて「あれだけ練習してるんだから、野球の神様は見放さんよ」このようなことを言われました。

監督のこの言葉は、小生の何かつっかえていたものを取ってくれたようです。

その次の試合から小生の嘘のようなピッチングが始まるのです。

内野安打1本、無四球で三振は15ぐらいだったと思います。次の日もダブルヘッダーも二試合とも完封です。

そうなると、打つ方も三試合で5ホーマーとアウトになった記憶もないぐらいの絶好調です。

教訓 野球は気持ちでやるものなのです

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もう一度野球がしたい

もう一度野球がやりたい

終わってしまえば、やはりさびしいものです。

甲子園を目指して始めた野球、甲子園に出たくて奈良の高校まで野球留学、しかし、夢を一旦諦め帰郷、そして、もう一度巡ってきたチャンスには、間に合わず。

終わってみて考えたのは、本当に自分で独り相撲を取っていたように感じました。

そんな時、柔道部の先生から、うちに来てやらないかと誘いも受けていました。

しかし、このままでは、終われないと正直思いました。

そんな小生は、まだ高校二年生です。

実は高校野球の規定で、小生の場合秋の大会までは、出場できるのです。

しかし、相手は一つ年下の連中です。

戸惑いもありましたが、あと三か月は、野球ができることに感謝でした。

八月の暑い夏の練習も、三回目です。シンドイのは一緒ですが、気が入ってる分一番成長した夏だったと思います。

自分の為にちゃんと足を地につけた練習でした。奈良の高校の頃から何故こういう気持でやらなかったのかと思います。

まあ後悔先に立たずですね。

そして、八月も終わろうかとする頃になると練習試合が組まれるのですが、小生のノーコン病は、まだ治っていませんでした。

球はそこそこだったのですが、ストライクが突如として入らなくなるのです。

だから、ヒットは打たれないのですが、フォアボールで自滅です。

こんな試合が数試合続いた頃でした。小生に転機が訪れるのです。

教訓 後悔先に立たず!

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最後の夏

監督が代わってからも、なかなか調子が上がってきませんでした。そして、二年の夏を迎えるのです。

二年の夏と言うと、小生にとって最後の夏の大会です。そうです、小生は、奈良で一年高校生活を送っているからです。

そんな最後の大会も、ベンチに入るのが精一杯でした。

投手としても、中途半端なスピードとノーコン病で、決してプロにスカウトされるようなレベルではありませんでした。

また、バッターとしてもまだ、奈良のT高校でのバッティング改造によるタイミングが、上手くとれていませんでした。

すべてにおいて中途半端な状態では、しょうがありませんでした。

ところで、そんな小生の母校は、福岡でも優勝候補にも名が上がるほどで、前評判もなかなかでした。

エースは、小柄ながらも140キロを優に超す超速球派で、素晴らしいカーブも兼ね備えていました。

打つ方も、なかなかの好打者ぞろいでしたから、優勝候補として名が上がるのも当たり前です。

そんなチームが、あろうことかなんと二回戦であっさり0対1の完封負けを喫するのです。

もちろん小生の出番は、ありませんでした。

何とも、最後の夏をあっけなく終えてしまったのです。

教訓 高校野球に、無駄な時間など一日もない!

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野球の恩人

それからというもの、野球部の練習をサボりはしなかったのですが、なんとなく練習していたようです。というのも、はっきりした記憶がないのです。

ショウガナイからやっていたようなものです。学校の勉強の方も、成績がどんどん落ちて行きました。

かといって野球部を辞めるわけにもいきません。

そんな状態が、一年ぐらい続きました。

そして、高校二年になった頃だったと思います。監督が変わったのです。

と言っても、監督と部長先生が交替しただけですが、小生にとっては、この監督交代が、また野球への情熱を甦らせてくれたのです。

ほとんど使ってもらえなかった前の監督への不信感から、全くやる気を失っていた小生に、練習の時から、熱心にやる気を起こさせるように、働きかけてくれました。

どういうことかと言うと、ピッチング練習の時などは、小生の後ろで一球一球声を掛けてくれたり、気分転換にサードを守らせてくれたり、バッティングの時も声をかけてくれました。

今思うと、監督が変わっていなければ、当然、プロの道も開かれていなかったでしょうし、何より、補欠のままで、高校野球を止めていたと思います。

監督から、何を教えてもらったということはないのですが、本当に感謝しています。

そうは言っても、監督が変わったからと言って、急には、上手くは行きません。だってこの一年全く気の入った練習をしなかったのですから。

教訓 人生、やる気がすべて!

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招待試合

その年の選抜に出場した奈良のT高校が、あろうことか、5月の招待試合で、九州に来たのです。その試合を野球部として、みんなで観戦に行ったのですが、ここで小生にとって決定的な、罰が当たるのです。

T商業の監督は、この当時、県の高野連で役職に就いていましたから、この試合も、もちろん役員室で見ていました。

そして試合が終わって、監督が小生を呼びに来たのです。監督は、小生を連れて、T高校のベンチに連れて行ったのです。もちろんつい3か月前までのチームメイトですから、よく知った面々です。逃げ帰った小生としては、あまり会いたくなかったのですが、それでも、同じ釜の飯を食べた仲間たちとの再会を喜びました。

その時です。「また野球始めたんだって」と小生が、野球部に入ったことは、もう監督が、喋っていたのです。

何を言いたいかと言うと、奈良のT高校での小生の不甲斐ない行動は、すべてこの時に、監督に筒抜けになってしまったのです。

ホームシックになったこと、脱走したことなど小生の気の弱さ、根性のなさなどです。

もともとT商業の監督は、力の差は練習で補うような、根っからの精神野球推奨者で、気持で野球するタイプなのです。

これを機に、小生は、はっきり見切られたのを感じましたし、使ってもらえませんでした。

だからどうだということはないのです、元はと言えば、自分が撒いた種ですから。しかし、そしたら『野球部に誘うなよ』という気持ちでした。

教訓 狂った歯車は、なかなか元には戻らない!

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