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2009年3月

1年5か月振りのマウンド

小生高校二年の秋以来、実践のマウンドは実に1年5か月ぶりです。

とはいっても高校三年生の時も、ほとんど毎日ピッチング練習を行っていましたし、たまには後輩相手にバッティング投手を務めてもいました。

しかし、野球経験のある方でしたらお分かりいただけると思いますが、ピッチング練習やバッティング投手をいくらやっても、本当の試合でバッターと真剣に勝負するのはやはり違うものです。

何が違うかって、それは、ただコースを目がけて投げればいいのとは、全くの別物です。

第一に打たさないように投げなければいけません。

それは、カッコよく言うと気を入れて投げるとでもいいましょうか、だから、練習で投げるのと試合で投げるのでは、終わった後の疲れ、肩の張りが全く違うのです。

だから、小生の1年5か月ぶりのマウンドは、想像以上のブランクだったのです。

そして、いよいよその時がやってきます。

相手は、セリーグの雄Gです。

二軍とはいえ、有名選手がごろごろいました。

小生8回からマウンドに上がりました。

思ったよりも緊張はありませんでしたが、やはり思うようにコントロールできません。

ボールが先行してストライクを取りに行ったところを確か6番バッターにライトスタンドに運ばれました。

結果は、1回を投げて、ヒットはこの一本だけだったと思います。

しかし、高校時代ホームランなんか打たれたこともありませんでしたから、ショックは拭えませんでした。

教訓 ストライクは置きにいくものではなく、キリにいくもの!

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オープン戦

いよいよキャンプも打ち上げ、オープン戦に突入するのですが、この年入団で一軍帯同を許された人は、社会人・大学から来た二人と高校生の野手一人でした。

残りは、二軍のオープン戦です。

小生はもちろん、自分の投げ方さえ分からなくなっていたのですから当然ですが、何か年功序列式起用しかしないような監督だなと思っていました。

チームのほとんどが、他のチームで活躍してきた選手の寄せ集めで、ほとんど生え抜きはいないようなチームでした。

それはいいとして、三月も終わりのころ、小生も二軍のオープン戦に投げることになったのです。

もちろん先発ではないのですが、マウンドに上がるんです。

しかし、そのマウンドが、怖いんです。

前の日に言い渡されたのですが、まず考えたことは、ストライクが入るか?でした。

というのも、他の新入団の投手と違って、小生が実践のマウンドに上がるのは、実に一年五か月ぶりなのです。

本当なら前の年の7月ないしは8月まで試合に出れるのですが、小生は高校を4年行ってます関係上、高校二年の10月までしか公式戦には出られなかったのです。

まして、二軍とはいってもプロです。

ランクで言うと大学・社会人を飛び越えて、三階級も上のレベルに来たわけです。

本来だとマウンドで商売しなければいけないのに、そのマウンドが怖いのでは、商売になるわけがありません。

教訓 怖いは負けの証拠!

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投球フォームの改造2

バッティングマシンのような投球フォームへの改造は、キャンプの時から行われました。

特にキャンプの時は、一軍二軍合同でしたから、二軍のピッチングコーチすら一軍監督のフォーム改造を黙認する始末です。

コーチも生き残りを賭けているんだなと思いました。

一軍監督は、昼はブルペンでピッチングをする投手を捕まえ、そのフォームを伝授するのですが、特に目を付けられた投手は、2時間から3時間も捕まってしますのです。

そして、毎夜毎夜のシャドウピッチングの時間でも、今度は一軍のバッテリー補佐のコーチが手取り足取り改造のお手伝いをしているのです。

この改造に加わらなかった投手は、一軍で余っ程の実績がある人のみでした。

こんな具合ですから、このフォーム改造に意を唱えるなど、できるわけもありません。

このチームのエースの方なんかも、一軍監督がいないときに、適当にやってないと肩壊すぞと何回も忠告するのですが、それがやっとです。

そういえば、一人だけ面と向かって反対したコーチがいました。

大リーグでサイヤング賞を獲ったBコーチです。

もちろんアメリカ人でしたが、彼は、一年目一軍コーチとして招聘され、二年目二軍コーチに降格、そのオフにアメリカに帰って行きました。

そして、キャンプが終わる頃には、小生の投げ方ももうすでにおかしくなっていました。

でもおかしくなったのは、小生だけではなかったのです。

このキャンプで小生の同期に入団した投手4人は、一軍に上がれないままプロを去ることになるのです。もちろんそれが実力だったかもしれませんが!

教訓 自分の力を信じなさい!

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投球フォームの改造

S球団では、伝統的に一つ困ったことがありました。

というのは、一軍の監督自ら、ピッチャーのフォームをいじるのです。

いや、いじるという言い方は適当ではありません。

いじられるのであれば、まだいいのです。

悪い所を変えるわけですから。

しかし、そうではありません。

みんな同じ投げ方に変えるのです。

これは、今考えれば非常におかしなことです。

それは、みんなそれぞれの投げ方でプロのスカウトの目に止まった訳ですから、多かれ少なかれ、そのフォームも含めてスカウトされたわけです。

それをまるで否定されたように、一軍監督にフォーム指導を受けるのです。

でもこの一軍監督、現役時代は捕手出身で、そのほとんどがブルペンキャッチャーと聞いています。

たまさか投手出身であればまだしも、捕手ですよ。

どう考えてもおかしいのですが、プロに入って、まして一軍監督ですから、我々にとっては、雲の上の存在から指導を受けるわけですから、まさか「ノー」とも言えません。

それよりもしかしたら、これで気に入られればと考えたのも無理はありません。

小生この教えられたフォームを現役引退後、みんなの前で披露したことがあるのですが、みんなから笑われました。

まるでバッティングマシンなのです。

しかしこの投げ方は、コーチたちの間でも黙認され、誰も止めようとしないのです。

教訓 プロは自分で責任をとるもの!

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プロのキャンプ

キャンプも中盤になるとさすがに十代のこの体も疲れてきます。

一月最初からの自主トレからほとんど毎日全力でやってきたのですから当たり前です。

しかし、プロで何年か飯を食べている人は、毎年このキャンプをやっているわけですから、力の配分も心得ているというもの、小生たち新入団選手は、みんな疲れのピークでした。

特に高校出の我々は、やみくもに毎日をこなしている感じでした。

それと同時に、前にも書きましたが、プロの壁にぶっつかったまま、出口の見つからない毎日は、正しく小生奈良のT高校の頃の悪夢が頭をよぎりました。

小生の弱気の虫が顔を出し始めたのでした。

朝から晩までのキャンプ生活は、高校時代の管理された野球生活となんら変わりはありませんでした。

しかし、唯一違ったのは、休みが定期的にあるということです。

確か5勤1休だったと思います。

あと何日で休みだと自分に言い聞かせて頑張りました。

そしてその休日はと言うと、もう年棒として給料ももらっていましたので、使い放題です。とはいっても、まだ高校生、お金の使い方も知りません。

だから休みはもっぱら先輩に連れられてパチンコでした。

そんな休日も夜になるとまた明日からの練習に頭を悩ませていました。

初めてのキャンプはこんな毎日でしたが、実は、小生の野球人生を左右することが起きるのです。

それは次回にして、これを書いてるたった今、巡りあわせですね。当時S球団に一緒に入団したIから20年ぶりに電話があったんです。

彼も小生と一緒に二年でクビになったのですが、今広島で接骨院をしているそうです。

教訓 プロはやはりプロです!

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キャンプイン

二月になりいよいよキャンプインです。

自主トレでは、ランニングやトレーニングだけだったのでプロの野球のレベルを見る機会もなかったのですが、キャンプは野球の実践です。

若手投手は、初日からブルペンに入り、ブンブンです。

打者もバッティングが始まり、改めてプロのレベルを垣間見ました。

小生の正直な感想は、『何なのこの人たちは!』でした。

正直自主トレの頃は、体力的にはそんな差はないし、鍛えればどうにでもなるなと軽視していたのです。

ところが、キャンプインの日、そんな甘さは微塵にも打ち破られたのです。

まずは、ブルペンです。

こんなスピードボール見たこともないという投手ばかりです。

早いのなんの。

その中でも、後に日本ハムで完全試合をやったSさんの球は、群を抜いていました。

そのSさんですら、前の年は一勝止まり、そして彼が言うには、先発ローテーションで投げてる人たちは、こんなものじゃないと聞かされて、目の前が真っ暗になりました。

スピードだけでは勝てないというのです。

ストライクとボールの間をボール一つ出し入れするというのです。それもストレート、変化球ともです。

小生ここで本当にやっていけるのだろうかと今更ながら考えてしまいました。

そしてもし生き残れるとしたら、どういう方法があるのか?すでにこんなことを思っていました。

教訓 伊達や酔狂で金はもらえません。

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プロ入団

年が明けて、一月早々には、もうプロの自主トレに参加していました。

それはもう緊張の連続でしたが、プロの先輩OBと練習をしていたせいで、練習自体には苦もなくついていけました。

それよりも、プロ何年目かの先輩たちが全くノンビリやっているのに驚いたくらいです。

どうしてか?は、後でわかるのですが、みんな一様に飛ばさないのです。

頑張っているのは、小生たち新入団選手だけ。

彼らは、今から始まる一年間のシーズンを熟知しているのです。

自主トレに始まり、キャンプ、オープン戦と進むのですが、一軍選手は、オープン戦の後半に、一軍を狙う選手は、キャンプ後半にピークにもっていけばいいのです。

自主トレから飛ばしていたのでは、確かに持ちません。

まして、十代の我々と違って、もう何年もプロで飯を食べているのですから。

自分の体を皆さん熟知していました。

そして、皆さん多かれ少なかれ、体のどこかに故障を抱えているのです。

その古傷と相談しながら闘っていたのです。

それを裏付けるように、我々新入団選手の中に故障者が出ました。

太ももの軽い肉離れだったのですが、その時のトレーナーの言葉が「これでシーズンの前半戦は使い物にならないぞ」

すぐ直りそうなものですが、そんな甘いものではないのです。

一年間を通して野球をやるということは、少しの出遅れが命取りになるのです。

そういう小生も、飛ばしすぎて重大な故障を負うのですが!

教訓 プロの選手はケガとの戦いです!

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プロ野球の恐ろしさ

この年もプロに入ったOBの先輩が帰ってきていっしょに練習をしていました。

しかし今年は、小生のプロ入りが決まっていましたので、何かと先輩たちとの触れ合いも多くなり、プロでのいろいろなことをレクチャーしてもらいました。

そんなある土曜日だったと思います。

練習も終わって、三つ上のプロの先輩二人と連れだってバッティングセンターに行ったのです。

この時のこと小生ははっきり覚えています。

言い忘れましたが、この先輩たちはプロでは、内野手と外野手、ということはバッティングで生きているということです。

まず、130キロ(このバッティングセンターの最速)のゲージで打ち始めたのですが、彼らにとってこの130キロは、朝飯前なのです。

このスピードだと彼ら二人は、ほとんど打ち損じがありません。

小生はピッチャーとして空恐ろしいものを感じながら、眺めていました。

だって小生の球速は、140キロまでは出ていなかったと思います。

このままでは、プロのファーム(二軍)の選手にも通じないと本気で思いました。

しかし、これだけではなかったのです。

彼らはあろうことか、ゲージを出てマシンの方へ2メートルばかり近付くではありませんか、実は、この年まだウエスタンリーグで投げていた中日の小松投手のスピードを体感すべく前に行ったのです。

そしてその球を打っているではありませんか。「小松ってこれぐらいやな」といって。

これはとてつもない所へ行くんだなと思いました。

教訓 プロは怪物の集団!

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プロのトレーニング

小生は、プロ入りが決まって、プロに向けての練習を開始しました。

小生の母校では、毎年12月になるとプロに入っているOBの先輩がオフで帰ってきます。

そして、冬の練習が始まるのですが、当時プロに入ったOBが三人いました。

三人とも在阪のパリーグでまだファームでしたが、三人とも将来を嘱望されていました。

そのうちの二人が小生より三つ上の先輩で、この冬もほとんど毎日我々後輩と一緒に練習に参加していました。

だから当然小生の母校の冬の練習は、プロでやっている練習をこなしていたのです。

この練習は、何が凄いかと言うと、ほとんど休みなく続くダイヤモンドを使った練習です。

ダイヤモンド、そう四角い塁間をうまく使った筋力アップのトレーニング。

ウサギ跳び、アヒル歩き、ジャンプ、股割ジャンプ、などなど約30種類のプログラムをこの塁間を使って行うのです。

まずホームから一塁まで、そして一塁から二塁間は歩き、二三塁間は又プログラムをこなし、三本間は歩くといった具合に、とにかくこれを繰り返すのです。

意外と歩いてる時間があるから楽かなと思うのですが、これが実にきついのです。

だって途中休憩が全くなく、ただもくもくと渋滞することもなく、自分のトレーニングを繰り返しているのですから、なるほどプロの練習だという感じです。

四時に始まった練習がこのダイヤモンドトレーニングが終わる頃には、六時ぐらいです。

でもこれで終わりかと言うと違います。

ここから、今度は上体の筋力トレーニング、そうです、腕立て・腹筋・背筋をみっちり5010セット。

奈良のT高校の時もシンドかったですが、こちらもシンドかったです。

でもおかげさまで、プロに入ってトレーニングで音を上げたことはありませんでした。

教訓 プロ練習は内容が濃い!

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怪物Mは一軍選手

小生がプロ入りを決めたこの年、小学時代からのライバル『怪物M』はもうすでに阪急ブレーブスで一軍に定着していました。

彼は、K工業に入学後、一年生でライトの定位置を取り、夏の福岡大会の準決勝で、あの強豪柳川商業を戦うのです。

この試合で、彼は久保投手(現阪神タイガースの投手コーチ)からライトスタンドにホームランを叩き込むのです。

ちなみに、久保投手はこの年の近鉄ドラフト一位ですよ。もう一つ書くと、あの原監督が東海大相模高校時代、高校時代対戦したナンバーワン投手だと絶賛した投手です。

彼は、そんなピッチャーから打ったのです。

そういえば、九州に戻った高校一年の秋、小生がプロ入りが決まった二年前、八幡の祭りでばったりMと会ったことがあります。

その時彼は、K工業を中退し、広島カープのテストを受けたと言ってました。

一時テストは、走力、遠投など基礎テストだったらしく、合格。

なんでも遠投で広島球場のホームから投げてバックスクリーンを越えていったらしいのです。当時、プロ野球一の強肩、山本浩二さんもびっくりだったそうです。

次は実技のテストだと言ってましたが、その広島の一時テストを見てた阪急のスカウトから誘いが来てることも言ってました。

彼は、それで阪急を選んだのです。そして一年間球団職員として練習し、この年二年目にはすでに一軍に定着していたのです。

本当に天才です。

教訓 持つべきは、目標です!

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プロ入り

母の反対は、三日間続きました。

言い出したら聞かない芯の強い母でした。

父はと言うと、やはり小生が小さい時、西鉄ライオンズを見に平和台球場までタクシーを飛ばしたほどの野球好きです。

心はすでに、息子のプロ野球入りでした。

余談ですが、小生を熱心にスカウトしたS球団のSスカウトを小生の父は、西鉄当時の同姓のS投手と勘違いをし、「S投手の目利きなら間違いない」と喜んだほどです。

実はSさんは、その当時、西鉄の強敵南海のSさんだったのです。

そんなこともありながら、小生の進路は決まったのです。

プロ入りに反対だった母も最後は

「あんたの人生、悔いの残らないように」

認めてくれたのです。

そして、S球団の方に連絡をしたのですが、その日の夜には、自宅におみえになり、簡単な条件面などの話になりました。

そしてほかの球団の手前もあるからと小生の進路は、ドラフトまで大学進学ということに嘘をつく形になったのです。

後は、大手銀行の方の処理ですが、監督が神戸まで行ってお断りをしていただきました。

こうして小生の進路は、プロ野球へと進んでいくのです。

教訓 下駄を履くまで諦めない!

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