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2009年4月

夜の筋トレ

小生とYさんの夜のアポロトレーニングが始まりました。

小生と違ってYさんは、肩を壊しているとはいえすごく前向きで、どうにか野球で身を立てようという意思が強かったです。

そして小生にいつもこう言ってました。

「俺達は幸せなんだ、好きな野球を仕事にしてるんだぞ。周りは、野球をやりたくてもみんな辞めて言っただろう。俺達は、選ばれた人間なんだ。」

また、こんなこと言ってました。

「俺も、お前も練習生だけど、今年は肩の治療をやりながら、来年はほかの球団も視野に入れて野球を続けるための準備だと思えばいいんだ。」

このポジティブな考え方にいつも頭が下がりました。

しかし、そうは言っても小生の野球に対する気持ちはもうさめていたのかもしれません。Yさんの言葉を聞けば聞くほど、小生ごときが、この世界にいること自体失礼じゃないかと落ち込んで行きました。

それに肩の痛さも、球団からの扱いも(練習生)変わるわけもありません。

そんな時でした。小生は、目的と言う目的もないまま、夜な夜な寮を抜け出しては、酒場へと繰り出すようになっていきました。

寮を抜け出したのは、故障者は、外出が禁止されていたからです。

Yさんとのトレーニングが終わった後、寮の塀を乗り越えて夜の街へと出ていくのですが、戻ってくるのはほとんど朝方でした。

もうほとんど自分を見失っていました。

教訓 落ちぶれるときはトコトン落ちろ!

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筋トレ「アポロ」

結局キャンプに参加したのは、もうキャンプの終盤でした。

はっきりとした目的もないままの参加です。

でも、小生このキャンプで人生の恩人と巡り合うのです。

その恩人と言うのは、同じ球団の先輩です。

前の年も同じチームでプレーをしていたのですが、そんなに近い間柄ではありませんでした。

その恩人Yさんは、小生の二年先輩の投手で、小生たちが前年入団した時に練習生になった方です。

Yさんも肩を壊されていました。

そして、この年は、目出度く選手契約に格上げされていたのですが、このキャンプで風邪をこじらせ、また練習性へと逆戻り。

そういうこともあって、なんとなく仲良くさせていただいたのですが、本当の理由は、小生が持っていた「アポロ」という筋力トレの器具でした。

アポロとは、アメリカ/NASAが開発した筋トレ器具で、その名の通り、無重力空間の宇宙でもできるという画期的なものでした。

Yさんは、このアポロで痛めた肩の周りの筋肉を鍛えようというのです。

しかし、操作は小生しかわかりませんし、二人一組じゃないとアポロは、できないのです。

ということで、小生とYさんの夜の筋トレが始まったのです。

このYさんが目的を失っていた小生に道しるべをつけてくれるのですが。

教訓 目標のない人生は、全くつまんないものです!

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自主トレ

この契約違反でもしプロ野球を辞めていたらおそらく小生の人生は、逃げてばかりのものになっていたように思います。

肩の痛さなんかどうでも良くなりました。

お金の分、返してきなさい。

これが利きました。

もう自主トレも始まっていましたから、早速帰りました。

でも、一年前とは全く気持ちが違ってました。

プロへの憧れなど微塵もありません。

一年間の奉公に来たようなものです。

しかし、夢もないのにあんなキツイ練習についていけるはずもなく、現実にぶち当たるのです。

練習での手抜きはもちろん、夜は外出禁止の身なのに、裏口から夜の街へと出没していきました。

そしてキャンプ出発の前日だったと思います。

やはり罰があたりました。

深夜お酒を飲んで帰ってきたのですが、朝方足が痛くて目を覚まして見ると、右足が風船のように膨れ上がっているのです。

這って寮長のところまで行き、病院に連れていってもらいました。

即入院、足に菌が入って化膿し、昨夜のお酒も手伝って膨れ上がったみたいです。

キャンプどころではありません、二週間の入院です。

教訓 奉公は軽い気持ちではできません!

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契約違反

練習生という響きは、プライドも何もズタズタにされた気分でした。

でも自分の内心は、肩を壊して何もできない一年でしたから、本当は分かっていたのです。

契約違反と騒いでも、法律ではそうかもしれませんが、ボールもろくに投げられない19歳の小生にただ飯を食わしてくれているんですから。

でも、人差し指の件がどうしても割り切れないのです。

もうプロでやっていく自信も萎えていましたし、あの時の小生は、正直野球から逃げたかったんだと思います。

そして、九州に帰ってみると案の定です。

父と母は、どうして帰ってきたかと怒り心頭です。

どうも球団からこのことは事前に親に知らせていたらしいのです。

そして小生をスカウトしてくれた方まで来て小生を説得です。

球団としては、騒がれたくなかったんだと思います。

できればこのまま野球を辞めたいと甘い考えでいました。

しかし、小生の身内はやはりそんなことを許さないのです。

今でも覚えています。

小生がT高校を辞める時に、恥をかきなさいと自分の荷物をリヤカーで駅まで運ばせたあの叔父さんがまた登場しました。

「お前はあの球団からいくら頂いた?そのお金で両親が八百屋で作った借金、先祖の墓、どれだけ助かったかわかるだろう」

そして続けて、「何もできないなら、バッティング投手でいいじゃないか、この一年ちゃんと返してきなさい、お前の右腕が一本なくなっても親族一同はお前を見捨てない」

ここで逃げちゃいけないと思いました。

教訓 契約より人道です!

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契約

長野からオフで九州に帰った頃、球団から封書で来季の契約書が届きました。

オフになるとプロの選手はそれぞれ球団事務所で契約をしている報道がテレビで報じられますが、あれは一軍選手だけのものです。

二軍の下の方の選手は、小生みたいに封書で送ってきてサインをして遅れ返すんです。

もちろん「ノー」と言う返事はありません。

球団が提示する金額に同意してサインです。

しかし、この契約からひと月もしない一月の初めでした。

年が明けて自主トレが始まりました。

そこでとんでもないことを言われるのです。

球団が新人を取りすぎたから、選手契約から練習生契約にしたいというんです。

これは、完全に契約違反です。

どういうことか説明しますと、当時一球団の支配下選手の枠が60人と決められていました。

だからこの枠を超えると選手として契約できないのです。

そして驚いたことに、小生と同じように選手で契約していて練習生扱いになった人が数人いたのです。

球団も計算もしないで獲ったものです。

小生は、どうしても我慢がならず、考えさせて下さいと九州に帰ることにしました。

小生の他の人たちも、泣き寝入りをした人、契約違反を申し出て、年棒をそのままもらって辞めていった人もいました。

小生も人差し指の件があったのでこういう態度に出たんだと思います。

教訓 大人の世界は汚い!

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人差指の古傷

右人差し指の血の流れの悪さは、小生にとってすごくショックでした。

右肩の故障も元を正せば、この指が原因かもと先生に言われました。

確かに思い当たる節はありました。

高校時代から、確かに小生のコントロールの悪さは、その日投げてみないと分からないんです。

とてつもないピッチングをしたかと思えば、翌る日は、ストライクが入らないんです。

しかし、投手のコントロールは、フォームさえ出来上がっていれば、そんなに狂いっこないんです、それが自分でもどうしてもわかりませんでした。

また、人差し指と中指にできるマメでも感じてました。

投手は、ボールを投げ込んでいくとボールとの摩擦でこの二本の指にマメができるんですが、中指には決まってできるんですが、人差し指はできたりできなかったりでした。

そして何より、人差し指には投球の際、微妙な感覚が感じられなかったのです。

この診断結果を突き付けられて初めて自分の欠陥を知りました。

真っ直ぐを投げているのにシュートしたりスライドしたりは、当然あったでしょう。

怖いのは、分かって投げていないということです。

普通の投手でも、シュートやスライダーの投げすぎで肩や肘を故障するのです。

意識しないで何球も投げていれば、故障しない方がおかしいのは道理です。

長野へのこの治療は、間違いなく小生の野球人生を左右するものになりました。

だって肩が治っても、この指の血行が良くならない限り、小生の肩はまた同じことを繰り返すということですから。

教訓 故障の原因は早く突き止める!

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肩の治療

クビは免れましたと書きましたが、来季の契約を交わした訳ではありません。

秋季練習が始まったのです。

そこに来ない選手がクビになった選手と言うことです。

誠に残酷な世界を二十歳そこそこで覗いてしまいました。

何はともあれクビは免れたのです。

しかし、小生の肩の状態は、一向に回復に向かいませんでした。

そんなこんなで秋季練習も終わり、帰郷が許されたのですが、数日もしない頃、球団から、肩の治療で長野に行ってくれとのこと。

長野の国立病院に当時プロ野球界の注目する先生がおられて、故障者も含め十数名が派遣されました。

もちろん有名な先生なので、小生の球団以外にもプロ野球選手が来ていました。

そこでの治療は、まずどうして故障してしまったのか?

原因を究明からスタートして、あらゆる治療を施していくのです。

そこで小生に決定的な欠陥が見つかるのです。

それは、サーモグラフィー?なる血液の循環を調べていた時でした。

血の流れが普通だと赤く映るんです。

それが、ほかの指は正常なのですが小生の右手人差し指だけ真っ黒なんです。

人差し指だけ極端に血のめぐりが悪いのです。

ということは、感覚も鈍いということです。

心当たりはありました。

そうです、中学時代のバレーボールです。

教訓 ツケは必ず回ってくる!

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一年目のオフ

肩を壊して何もできない一年でした。

そしてオフが近付くにつれ、寮で一種独特の空気が流れ始めました。

来季の契約問題です。

そうです、プロ野球選手は、自分の意志とは別に球団が必要としない選手は、いらない訳です。

先輩たちは、二軍暮らしが長いとどうしてもこの季節、不安な気持ちになるそうです。

先輩の中には、他所の球団のテストの時期をチェックしたり、第二の人生を考える方もおられました。

そんな中、小生は一年目と言っても、丸一年肩を壊してなにもしていませんでしたし、第一ドラフト一位二位ならまだしも、ドラフト外でしたからまさかとは思いましたが、自分のクビを疑いました。

でも、そういうことって、場の空気で察しが付くものなんですね。

夏の終わりごろから二軍監督、コーチなんかの選手に対する扱いを見ていましたから、クビ確実の選手、当確線上の選手とランクを付けて接してたみたいです。

というのは、来期何人の選手を獲るかによって、クビの人数が決まるからです。

お金のある球団ほど、新人の獲得数が多くなりますし、お金のない球団は、せっかく獲った選手を大事に育てます。

なぜなら、選手を獲れば高い契約金を払わなければならないからです。

小生は前者の球団でしたから、クビの選手は多いかったです。

幸いに小生のクビは免れました。

教訓 プロは自分の意志とは別の意思が働くのです!

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バッティング投手

そして小生のバッティング投手の日々が始まりました。

何回も書いていますが、元来コントロールが良いわけではありません。

こんなことがありました、バッティング投手をやってるとき、ストライクが入らない腹いせとインコースにデットボールまがいの抜けたボールが行ったとき、バットが飛んできました。

勿論故意に投げたボールではありません。

しかし、彼らプロのバッターには、小生の肩を考えてくれる人なんかいるはずはないのです。

自分の練習をキッチリやっていかないと誰も助けてくれないのですから当然です。

彼ら打者は、一球でも多くの生きた球を打ちたいのです。

小生が投げる死んだボールは、逆に彼らの調子を崩しかねないから、できれば小生にほかの投手に代わってもらいたいのは、痛いほど分かっていました。

しかし、今小生がプロとしてできるのは、バッティング投手ぐらいしかないのです。

肩の痛さより、みんなに申し訳ないと思うほうが辛かったかも知れません。

こんな調子だから、肩の調子も一向によくなりません。

そういえば、バッティング投手を務める時は、夏だというのに、20分も前から肩を温めるために、キャッチボールを始めていました。

それも練習前にキャピソリンという肩をマヒさせる?薬を右肩に塗ってです。

いかに痛かったか?おわかり頂けると思います。

まあこんな毎日が、この年いっぱい続きました。

こんな目にあっても辛抱できたのは、この球団特別の投げ方で肩を壊した先輩が他にもいたからです。

そんな先輩たちが、文句も言わず痛みと闘いながら、コツコツと自分の練習を積み重ねている姿を見るにつけ、プロの恐ろしさを垣間見ました。

教訓 泣き言を言っても誰も助けてくれません!

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地獄のような日々2

肩を痛めてすべてにおいて厭になっていました。

T高校時代に全く打てなくなったときもそうでしたが、まだあのときは練習すればなんとかなると思っていました。

しかし今回は、その練習ができないのです。

それと絶対に違うのは、高校の時はライバルといっても同じチームメイトなんです。

しかし、プロ野球は、そんなの全く関係ありません。

みんな一軍に上がらないと近い将来「クビ」になる、野球を追われる境遇にいる個人事業主です。

他人のことなんか心配する余裕なんかありません。

ファーム(二軍)にいる投手たちは、それこそ喜んでいたと思います。

まあそれほどの実力もなかったですけど。

そんな生活がひと月も続いたでしょうか。

確か梅雨時期には、なんとかキャチボールができるぐらいまでは、回復しました。

そうはいっても、痛みがなかったかというとそうでもありません。

きれいに型にはまったフォームで投げていれば痛みも軽いのですが、肘や体重移動が上手くいかないとやはり激痛が走るのです。

しかし、いつまでもそうはしてられません。

この痛みと上手く付き合いながらやっていくしかないと決心しました。

バッティング投手ぐらいしかできないのですが。

しかし、このバッティング投手でまたもや苦難です。

教訓 プロは非常なところ!

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地獄のような日々

肩を壊したことなど今まで一度もありません。

痛いのは痛かったです。

それよりも投手が投げられないのでは、商売あがったりです。

しかし、はじめのうちは今まで肩の痛みをこらえて練習をしていましたから、少しはいい休養に成るぐらいにしか考えていませんでした。

練習はというと、ボールが投げられないのですから、ただ走るのみです。

毎日の練習時間がだいたい4時間から5時間でしたからこの時間ずっと走ってるわけです。

たいがい嫌になります。

陸上部ではないんですから。

生活もはじめは箸も持てないぐらい痛かったですから、不便きわまりありません。

風呂での脱衣や体を洗うときは苦労しました。

そういえばこんなことがありました。

夕食のときです。

食堂で食事をしてるときに、先輩から「ボールも投げられない奴がよく飯が食えるな」と小言を言われました。

それもみんなに聞えよがしにです。

そして毎日が治療でした。

トレーナーに針を打ってもらい、風呂では自分でマッサージ。

夜は、ホットパックなる肩を温めるものを2回も3回も取り換えながら、寝返りも打てませんでした。

でも一番つらかったのは、外出禁止でした。

教訓 五体満足が一番です!

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肩の故障

プロに入ってからの急な投げ込み、フォームの改造と急ぎすぎたのです。

やはり高校時代の丸一年間、試合にも出られず、ただの練習だけでは、筋力気力とも衰えていくものなんです。

右肩に違和感を感じるようになってもフォームの改造は続いていました。

投球練習は勿論、居残り練習では、ショート一塁間の送球をやらされるのですが、それさえもヘンテコなフォームでやらされる始末。

右肩の違和感は、痛みへと変わっていきました。

そして、5月の半ばでした。

もうすでに痛みは、ピークでした。

その日は、バッティング投手を終えて、いつものように居残り練習をやっていました。

ショートの位置でノックを受け、一塁へのと送球するのですが、その練習を始めて間もなくのことです。

右肩に鈍い音が走りました。

「ビシッ」

何かが切れたような音でした。

次の瞬間、激痛が走りました。

肩のパンクです。

その日、トレーナーの方に見てもらったのですが、「とりあえず痛みが治まるまでは、投球禁止令が出ました。」

そりゃもう大変です、痛みで箸さえ持てないのですから。

教訓 やっていい無理とやっちゃいけない無理があります!

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投球ホーム改造3

オープン戦の結果も踏まえ、今のままでは、プロとして通用しないことを目の当たりにし、やはりフォーム改造へと自分の気持ちが動いて行きました。

それは勿論このチームの監督が推奨するフォームではないのですが、いかんせんコーチ一同みんなが指導するのですから仕方ありません。

しまいには、プロ経験のない二軍監督までが、小生を捕まえて指導する始末です。

しかし、二軍の指揮官は、「実践から離れているんだから5月めどで(肩を)作ればいい」と言ってくれていましたから、無名選手の弱みで、フォームの改造に着手したのです。

おかげで、ヘンテコなフォームも習っていくうちに、ひじの使い方があまり上手くなかった小生の欠点も少しずつではありますが修正されていきました。

もともと小生の投げる球は、回転の少ないドスンという球で、肩に負担がかかる投げ方でした。

それが、肘が前に出るようになり、ボールの回転がつき始めたようでした。

回転が増えた分、球質も重いボールから軽くなり、切れも出てきた感じでした。

そうなると肩の負担も軽減されるはずでした。

しかし、実はこのフォーム改造は、小生にとって取り返しのつかないことになっていくのです。

ちょうど5月の声を聞くころでした。

右肩に違和感を感じるようになるのです。

やはり、1年以上のブランクがここにきて出始めたのです。

教訓 焦りは決してプラスには作用しない!

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